夢に燃えた堂安律は、すぐに日本で有数の期待株になった。そして、2014年にはAFC U-16選手権のメンバーに選ばれた。
この大会で彼はチームで指折りのスターとなった。最終的にU-17ワールドカップの出場権を手に入れられなかったとしても。
その失望にもかかわらず、この大会は堂安律のキャリアを加速させた。昨年彼はアジアのステージに戻ってきた。より強くなって、2年前の失望から立ち直るための準備を十分に整えて。
堂安律
「チャンピオンになることができて、僕はとても幸せでした。アジアの大会を戦う時は、ファンから高い期待を受けるということだと分かっていました。
決勝に進出した時、僕達はお互いに話しました。『これまで誰も成し遂げていないものを達成しよう』と。
そして、それをやり遂げました。今、僕たちはアジアのチャンピオンですし、より大きな自信を持ってプレーできます。
個人的には、MVPに選出されたことを誇りに感じています。しかし、自分のパフォーマンスには満足していません。
やりたいようにはプレーできませんでした。チームがタイトルを取ってくれたので、自分がこの賞を貰えました。
自分がこれに値するとは思いませんが、もちろんチームに貢献できたことには満足しています」
日本のユース代表で見せている素晴らしいプレーの他、堂安はクラブレベルでも同じように印象的な進歩を遂げ、ガンバ大阪のファーストチームで記録を更新した。
そして、1999年のワールドユースでプレーした遠藤保仁が、堂安がJリーグでプレーする上での誘導灯になるという。
堂安律
「彼は僕のお手本です。そして、本当に影響を受けています。キャンプではしばしば同じ部屋でいつもサッカーの話をしています。
(1998年のワールドカップで日本が初出場したのが6月16日。その2日前に生まれたね?)
運命を感じますね。これからも経験を積んで、日本のサッカーを更に高いレベルに引き上げられる特別な選手になるために全力を尽くします」