サーアレックス・ファーガソンがやってきてからの20年、マンチェスター・ユナイテッドはイングランドの盟主の座に君臨してきた。単に成績が優れているからだけではない。マーク・ヒューズ、ライアン・ギグス、デイヴィッド・ベッカム、ポール・スコールズ・・・ユナイテッドが世に送り出した才能は、プレミアリーグを支え続けてきた。そして今、フェデリコ・マケダという新たな星が生まれようとしている。
第1章1986年から1993年
1986-1987シーズン、スタートに失敗したロン・アトキンソンが解雇され、アレックス・ファーガソンが監督に就任する。後にクラブ史上最高の黄金期を築き、エリザベス女王から“サー”の称号を授かることになる男も、就任当初は苦難の連続だった。アトキンソンの後を継いだ最初のシーズンは11位でフィニッシュ。翌1987-1988シーズンは2位と躍進を果たすも、その後の2年間は11位、13位と低迷した。オールド・トラフォードのスタンドには「3年間言い訳し続けて、未だにゴミ」というボードが掲げられ、「ファーガソンは遅かれ早かれ解任されるだろう」とメディアは報じた。「サッカー人生最悪の時。」と後年のファーガソンはこの時期を振り返っている。
ファーガソンの窮地を救ったのは、自らが見出した若い才能だった。1989-1990シーズン、負ければ職を失っていたであろう FA カップ3回戦のノッティンガム・フォレスト戦で、マーク・ロビンズが決勝点を挙げファーガソンは監督に留まった。さらに、同年の FA カップ に 優勝したことがユナイテッドの転機となった。それからの 20年間で、ユナイテッドが無冠に終わったのはたった 2回だけだ。
ロビンズは1989‐1990シーズンに抜擢された若手選手たち、「ファーギーのひな鳥(Fergie’s Fledglings)」の1人。ロビンズたちに続くギグスやベッカムたちもそう呼ばれることになるが、初代の「ひな鳥」たちは期待に応えて羽ばたくことはなかった。ノリッジとレスターでそれなりのキャリアを送ったロビンズは恵まれた方ではなかろうか。ほとんどの選手がオールド・トラフォードで十分な出場機会を得られないまま放出されたのだ。
ユナイテッドで最も輝きを放ったのはリー・シャープ。左ウィングとしてリーグの最優秀若手選手に選ばれた、将来を嘱望された選手だったが、怪我と髄膜炎が彼のキャリアを塞いだ。1996年にユナイテッドを去ってから、彼が脚光を浴びることはなかった。
チームが軌道に乗り始めた1992年夏、ユナイテッドは真のスーパースター、その後の黄金時代の幕を開く男を手に入れた。その名はエリック・カントナ、“キング”と呼ばれた男である。カントナは誰の言うことも聞かなかったが、ピッチに立てば完璧なプレーを披露した。また、チームの中で特別扱いを受けてはいたが、練習には誰よりも真剣に取り組んだ。後年、ベッカムはカントナが真摯に練習に取り組む姿勢に深く影響されたことを語っている。
カントナを手に入れた1992‐1993シーズン、ユナイテッドは18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げる。新しい黄金時代の始まりだった。
<<つづく>>