歴代アジア王者 Vol.5 - 1992年 日本代表 (アジアカップ1992 in 日本)
No. | 名前(Name) | 所属クラブ | |
---|---|---|---|
GK | 1 | 松永 成立 | 横浜M |
19 | 前川 和也 | 広島 | |
DF | 2 | 大嶽 直人 | 横浜F |
3 | 勝矢 寿延 | 横浜M | |
4 | 堀池 巧 | 清水 | |
5 | 柱谷 哲二 | V川崎 | |
6 | 都並 敏史 | V川崎 | |
7 | 井原 正巳 | 横浜M | |
13 | 阪倉 裕二 | 市原 | |
MF | 10 | ラモス 瑠偉 | V川崎 |
12 | 山田 隆裕 | 横浜M | |
14 | 北澤 豪 | V川崎 | |
15 | 吉田 光範 | ヤマハ | |
17 | 森保 一 | 広島 | |
FW | 8 | 福田 正博 | 浦和 |
9 | 武田 修宏 | V川崎 | |
11 | 三浦 和良 | V川崎 | |
16 | 中山 雅史 | ヤマハ | |
18 | 神野 卓哉 | 横浜M | |
20 | 高木 琢也 | 広島 |
VS | スコア | 得点者 | |
---|---|---|---|
GL第1戦 | UAE | △0-0 | |
GL第2戦 | 北朝鮮 | △1-1 | 中山 |
GL第3戦 | イラン | ○1-0 | カズ |
準決勝 | 中国 | ○3-2 | 福田、北澤、 中山 |
決勝 | サウジアラビア | ○1-0 | 高木 |
1992年3月、日本代表は初の外国人監督としてオランダ人のハンス・オフトを招聘。8月に北京で行われたダイナスティカップ(東アジア選手権の前身といえる大会)で、海外での国際大会初優勝を飾ると、10月28日に開幕した地元開催のアジアカップでも過去の大会とは異なる姿を見せた。以前は代表のBチームを派遣するなどアジアカップのプラオリティーが低く、本大会での上位進出どころか、予選敗退、あるいは大会に参加すらしないこともしばしばだった日本。しかし、Jリーグ開幕とW杯予選を翌年に控え、さらにW杯招致に向けた開催能力(ホスト国の代表チームとして結果を残すことを含め)をアピールするためにも、この92年アジアカップは重要な意味を持っていた。
UAE、北朝鮮、イランと同居したグループステージ。日本は都並や堀池が欠場した最初の2試合に引き分け、敗退の危機に立たされる。最終戦の相手は、引き分け以上で準決勝進出が決まるグループ首位のイラン。コンディション不良のラモスをベンチに置いた日本はイランを攻めあぐねたが、53分にイランのFWペユスが退場。日本は68分、北澤と吉田に代えて、ラモスと中山を投入。一気に畳みかける。そして終盤の85分、井原の“結果的に絶妙なスルーパス”が前線のカズへ通り、劇的な決勝点を挙げた日本がグループ1位で初のベスト4入りを果たした。
準決勝の中国戦はさらなる激戦となった。開始1分にシエ・ユシンの先制弾を許した日本は、中国の運動量が落ちた後半、48分に福田、57分に北澤のゴールで逆転する。ところがその直後、GK松永が相手選手の頭を蹴り一発退場となると、70分、松永の代わりに入った前川のミスから途中出場のリ・シャオに決められ同点とされてしまう。数的不利で追いつかれるという苦しい展開。ただ、10人となっても日本の運動量は落ちず、11人の中国に対して五分以上の戦いを見せた。迎えた84分、福田のクロスをスーパーサブの中山がヘディングシュート。これが決まり、日本は決勝の舞台へたどり着く。
ディフェンディングチャンピオン、サウジアラビアとの決勝戦では、ラモスをボランチで起用するというオフト監督の采配が的中。また、批判にさらされながらも先発出場してきたFW高木が値千金の決勝弾。日本代表は広島ビッグアーチに詰め掛けた満員の観衆の前で、アジアカップ初優勝という最高のフィナーレを迎えた。
(筆:Qoly編集部 O)
歴代アジア王者 Vol.1 - 2004年 日本代表 (アジアカップ2004 in 中国)
歴代アジア王者 Vol.2 - 2000年 日本代表 (アジアカップ2000 in レバノン)
歴代アジア王者 Vol.3 - 2007年 イラク代表 (アジアカップ2000 in タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシア4ヶ国共催)
歴代アジア王者 Vol.4 - 1996年 サウジアラビア代表 (アジアカップ1996 in UAE)
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