「この選手がまさかここまでの活躍を見せるとは・・・」

サッカー界で行われる移籍のうちの大半は結果的には「まずまず」か「外れ」で終わることが多いが、その中で時折生まれるのが「大成功パターン」だ。

『blecher report』などに寄稿するコラムニスト、トーマス・アッツェンホッファーが、「クラブが費やした補強費以上の働きを見せた、良い意味で期待を裏切った15の移籍例」を取り上げていたので、前編と後編に分けて紹介しよう。

ティム・ケイヒル(ミルウォール→エヴァートン)

エヴァートンの指揮官デイヴィッド・モイーズは隠れた選手を発掘する能力に長けることで知られているが、彼がトフィーズに呼び寄せたこのオージーはクラブ史上に残る移籍の成功例と言えるだろう。ミルウォールから150万ポンド加入した攻撃的ミッドフィルダーは、現在までに65得点37アシストという栄えある成績を残している。

サミ・ヒューピア(トウェンテ→リヴァプール)

1998年にリヴァプールの監督に就任したジェラール・ウリエがクラブにもたらした財産。1999年にオランダのトウェンテから260万ポンドで入団したフィンランド代表DFはその後クラブ史上に残るセンターバックへと成長。堅固な守備と圧倒的な制空権を武器に攻守で貢献。2001年にはカップトレブルを経験した。

オレ・グンナー・スールシャール(モルデ→マンチェスター・U)

未だにユナイテッドサポーターからの人気も高い“ベビーフェイスの殺し屋”。ノルウェーでゴールを量産した後にユナイテッドに加入したが、当時の移籍金は150万ポンド。しかし、いざレッドデヴィルズの一員となると、期待以上のパフォーマンスを移籍初年度から記録。晩年は怪我に悩まされたが、リーグ戦で通算235試合に出場して91得点を上げた。

ケヴィン・キーガン(スカンソープ→リヴァプール)

イングランドの下部リーグの一プレーヤーが後にリヴァプール史上に残るスタープレーヤーになるとは誰が予期していただろう。1971年に3万5000ポンドで入団した若手ストライカーは瞬く間にレッズの核となり、1977年にハンブルガーSVに移籍するまでリーグ戦において230試合68得点という結果を残した。

ペーター・シュマイケル(ブレンビュー→マンチェスター・U)

「マンチェスター・ユナイテッド史上最高の守護神」と称される“白い巨人”だが、ユナイテッドが彼に費やした移籍金がわずかに50万ポンドというのは今でも驚きだ。観衆を湧かせるスーパーセーブを幾度となく披露し、クラブの黄金期を最後方で支持。UEFA年間最優秀GKを4度受賞するなど、ユナイテッドの栄華と共に彼も大きな名声を掴んだ。

イアン・ライト(クリスタルパレス→アーセナル)

90年代のアーセナルを最前線でリードした、イングランドのサッカー史上に残る点取り屋。アーセナルが費やした移籍金250万ポンドは当時のクラブレコードであったが、プレミアリーグ、FAカップ、カップウィナーズカップなど、彼の活躍により、様々なタイトルをクラブが手にしたことを考えれば、安い買い物だったと言えるだろう。

ニコラ・アネルカ(パリSG→アーセナル)

青田買いのプロであるアルセーヌ・ヴェンゲルの能力が一際発揮された移籍の一つ。アネルカがフランスで残した成績は10試合で1得点という芳しいものではなかったが、その大きな将来性を感じたヴェンゲルは50万ポンドで獲得を決断。半ばギャンブルとも言えるこの判断を懐疑的な目で見るグーナーも多かったようだが、アネルカの覚醒と共に否定的な意見は消滅。1998-99シーズンにプレミアリーグで17得点を記録し、2230万ポンドという大きな置き土産を残してレアル・マドリーへ去った。

【Qolyインタビュー】J2ジェフユナイテッド千葉DF岡庭愁人が母校の先輩からもらった言葉…未知のコンバートを乗り越え「熱くて、強い選手になる」