それは救いの手紙であると同時に、「運命の」手紙だったのかもしれない。今思うと、そんな気がしてならない。

今月1日、チェルシー所属のイングランド代表DFギャリー・ケイヒルが、過去に経験した人生最悪の闘病生活について語った。今回は彼の28回目の誕生日(本日12月19日)を祝し、その体験談を取り上げるとともに、話の中に出てくる一通の手紙についてご紹介しよう。

突然の悪夢は今から約4年前、2010年2月に起きた。当時のケイヒルはボルトン不動のセンターバックとしてメキメキと頭角を現し、4ヵ月後に開幕を控える南アフリカW杯に臨むイングランド代表の候補として有力視されていた。そんな中での悲劇だった。

病の発症は2月4日木曜日。いつも通りトレーニングを終えて帰宅しようとしたところ、左腕の異変に気付いた。腫れている。明らかにおかしい。ただ、痛みや違和感はなかったため、この時は大して気に留めなかった。

しかし2日後の6日土曜日、フルハム戦の直前にドクターストップがかかる。本人は熾烈な残留争いからチームを救おうと試合に出場する気で満々だったが、「念のため」受けたメディカルチェックに命を救われた。

診断結果は血液凝固。左腕に血栓ができ、血流に異常が生じていた。

生まれつき肋骨と鎖骨が血管を挟み込む形状になっていたケイヒルの左半身には、腕を上げ下げするたび血管にホースをねじるような負担がかかっていたという。一般的な人に発症する胸郭出口症候群や原発性鎖骨下静脈血栓症(ともに自分の骨によって血管を圧迫してしまう病気)よりも重い症状で、もしもあの時「念のため」の気持ちがなくそのままフルハム戦に出ていたら、生命の危険すら考えられるほど深刻なものだった。

早急の処置が必要となり、手術を受けることになった。肋骨を取り出す手術だ。真っ先に気にしたのは復帰時期だが、医師から告げられた見込みは半年後。つまりそれは、6月に開幕する南アフリカW杯に間に合わないことを意味した。

落胆した。失意を味わった。W杯出場を最大のモチベーションとしてきただけに、あまりに残酷な現実だった。

そんな折だった。ある日、病室に一通の郵便物が届いた。封を切ると、中には早期回復を願う応援の手紙。それも、手書きのメッセージだった。

そして送り主を知り言葉を失う。なんと、以前からずっと憧れていた超有名人だったのだ。ケイヒルはその時の衝撃について、今でも興奮気味に語る。

ケイヒル

「個人的には一度も会ったことがなかったんです。それだけに、とても信じられませんでした。同時に、『なんて偉大な人なんだろう!』と感激しましたよ。本当に、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったです」

「病は気で勝つ」とはまさにこのことだろう。その後はすべての要素が完璧に進み、当初の予定より4ヵ月も早く復帰。残念ながら南アフリカW杯のメンバーからは漏れてしまったが、ケイヒルはボルトンを残留させることに成功し、W杯終了後からは代表にも定着した。

そして――。

2012年1月、チェルシー移籍。自身を魅了した憧れの存在に近付くべく、後を追った。

ケイヒル

「あの手紙から2年、まさか代表でもクラブでも一緒にプレーできることになるなんて思いもしませんでした。なんだが奇妙な感じがしますが、イングランド最高のセンターバックであり、恩人でもある彼とチームメイトになれたなんて最高に幸せです」

もうお分かりだろう。手紙の送り主は今もケイヒルの隣でプレーするあの男。ここ数年、タブロイド紙を中心に悪い噂ばかり書かれてきたが、これこそ普段なかなか表に出されない彼の良い面であり、優しさに溢れた誠意ある行いは後輩の心をガッチリと掴んだ。だからこそ当時引く手あまただったケイヒルも、数ある移籍先の中からチェルシーを選んだのだろう。

やはりあれは、両者を巡り合わせる「運命の」手紙だったとしか思えない。二人の出会いは、必然のことだった。


著者名:小松輝仁

プロフィール:長野県在住のサラリーマン。中学時代にチェルシーに魅せられ、サッカーの「観る楽しさ」に気付く。その魅力を広く伝えるため一度はサッカーメディアに拾ってもらうも、途中で無謀な夢を抱いて退社。現在はその夢を叶えるために修行中。

ツイッター: @blue_flag_fly

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