大榎 克己(1988)

80年代までの日本代表は五輪のプライオリティが非常に高かったため、同年開催のアジアカップは予選不参加も珍しくなかった。

ようやく初めて予選を突破したのが1988年大会。日本の10番を背負ったのは大榎克己である。

長谷川健太、堀池巧とともに清水東三羽烏として注目され、早稲田大を経てこの年ヤマハに入団。

当時23歳だった彼が「アジアカップ初の日本代表10番」なのだが、実はこの時のチームは若手中心のB代表。大榎の代表初キャップは正式には翌1989年に記録されている。

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