3-3のスコアの末にPK戦にもつれ込んだアルゼンチン対フランスのワールドカップ決勝。死闘を制したのはアルゼンチンだった。

守護神エミリアーノ・マルティネスは終了間際の大ピンチを救うスーパーセーブを見せたほか、PK戦でも鬼気迫るセーブを披露。

『RMC』によれば、英雄になった彼は感動の涙を流しつつ、こう話していたそう。

「苦しんだ試合だった。コントロールできたと思っていたのに相手に反撃された。

とても難しい試合だった。我がチームは苦しむ宿命にあった。

3-2でリードしていたけれど、PKで得点を決められ、さらに逆転されかけた。

だが、幸いにもあの足があった(コロ・ムアニを止めたセーブ)。

このW杯を夢見ていた。言葉がない。PK戦が始まった時も冷静だったよ。いつもチームメイトたちにも落ち着けと伝えている。

この勝利を家族に捧げる。自分は非常に質素な地域の出身で、とても若くして渡英した。この勝利はその全てに対するものでもある」

彼は12歳を家を出ると、18歳で渡英している。

『Ole』などによれば、 貧しい家庭に育ち、父親からは安いGKグローブしか買ってもらえず、それを他の子から笑われたこともあったそう。だが、そのグローブに誇りを持ち、その意志でトップレベルにまで到達した。

父は港湾労働者として、母は掃除婦として懸命に働いて、兄弟2人を養ってくれた。それでもサッカーに必要なスパイクやウェアを買うお金がないこともあり、彼は「両親にどれほど負担をかけているか」を目の当たりにしていたという。

一方、父親は「試合に行く金がないこともあり、子供の頃の彼をスタジアムに連れていけないこともあった。金があれば、もう少し肉を買ったり、電気代やガス代を支払った方がよかったから。いま息子のユニフォームを着ている子供たちを目にすると目に涙が浮かぶ」と話している。

【関連】祖父を女が射殺…W杯アルゼンチン代表、貧しさから這い上がった壮絶人生の5人

ちなみに、彼のあだ名はDibu。これは90年代のテレビシリーズ「Mi familia es un dibujo(略してDibu)」に由来する。当時のマルティネスは赤毛でソバカスがあり、主人公に似ていたためにそう呼ばれることになったそう。

【厳選Qoly】なぜ?日本代表、2024年に一度も呼ばれなかった5名

ラッシュフォードの私服がやばい