Bリーグが開幕して10年。コートを離れ、新たな道へと進む選手も増えてきた。一方で、引退後に「起業」を選択する者はまだ少ない。2019年、横浜ビー・コルセアーズ(以下、横浜BC)で現役生活に区切りをつけた湊谷安玲久司朱(愛称、アレク)もそのひとりだ。30歳で引退を決断した彼は、その後起業の道へ。同級生で現役Bリーグ選手の篠山竜青(川崎ブレイブサンダース)、橋本竜馬(ベルテックス静岡)とともに、新たな会社も立ち上げている。
今回は、アレクのキャリアに大きな影響を与えた人物であり、知的障害者バスケットボールの普及・強化に取り組む「一般社団法人日本FIDバスケットボール連盟」の副会長兼専務理事・小川直樹氏との対談の前編をお届けする。同連盟が管轄するFIDバスケットボール日本代表チームと、アレクが代表取締役を務める株式会社はちはちは、パートナーシップを締結している。

横浜BCのGMと選手、アレクの第二の人生につながる出会い

小川直樹(以下、小川):最初の関わりは、横浜BCのGMとしてチーム編成している時で、大きくて外もできて動ける選手として条件が合ったのが、アレクだったんです。僕は、コート内のことはヘッドコーチに任せて、チームの環境づくりに専念をしていましたが、アレクの顔を見れば文句ばっかり言っていました。ちゃんと練習しろって。アレクは練習終わるとすぐ帰っちゃうんですよ(笑)。

アレク:ははは。そうですね。

小川:プロ選手って不安定だから、選手にはプロとして活躍するのは当然だけどセカンドキャリアについても常に考えておいてくれっていう話をしていました。それで、スポンサーさんやブースターさんとの交流はすごく大事にしていたんです。アレクは社交的だし、そういう繋がりが現役の頃から強かった。彼が現役を引退して起業する時にも、いろんな人が応援をしてくれたので、そういう意味では大成功した人だと思っています。

アレク:おっしゃる通りで、小川さんのおかげで今の僕があります。

小川:よく言うよ(笑)。

アレク:スポンサーやブースターの方と関わっていたおかげで、引退した時に助けてくれる人がたくさんいました。ちょっと引退は早くなっちゃいましたけど、横浜BCで引退してよかったなって心から思っています。元々あまり喋らないタイプで、食事に行ったりするのも苦手だったんですが、横浜BCに来て、キャプテンにもしてもらって、考え方や人との接し方が変わったと思います。すごく人に言われるんです、話すようになったねとか。第二の人生への準備が、その頃にできたのかなって感じます。

小川:僕が関わっているFID(知的障害)の選手も、今は日本の代表、チームの一員として努力をしていますけど、アスリートとしては終わりが必ず来ます。僕は選手に、社会に戻ったときに、代表で学んだこと、競技だけではなくて人との関わり方だとかそういう人間的な部分が成長して、社会の中で共存していくことが課題であると、ずっと話しているんですよ。プロ選手もFIDの選手も全く変わらない。ただ、最近はプロでも、人の話を聞かない若い選手が多いと感じます。だから競技を引退して社会の中で活躍している人たちが、メンターとしてそういう選手たちに色々話をしてあげる機会があるといいかなって。やってよ、アレク。

画像: (C) 88 Basketball 88 Basketballとして、FIDバスケットボール日本代表チームの合宿を訪問した

(C) 88 Basketball 88 Basketballとして、FIDバスケットボール日本代表チームの合宿を訪問した

アレク:はい、そうですね。もっとやらなきゃいけないですね。まだまだ足りてない。

小川:やっぱり、人が評価をするじゃない。自分が評価するわけではないので、印象ってものも大事だしね。

アレク:僕たちの会社のクリニック(88 Basketball Camp)で、篠山が子どもたちに、すごくいいことを言っていたんです。「プロでもプロでなくても、同じ能力の選手がいたときにどっちが選ばれるかっていったら、最終的に人間性による」って。どれだけプレーがうまくても、最終的に見られるのは人間性だということは継続して伝えていきたいです。

小川:幼少期から、そういうことを教えていくのは大事だよね。

アレク:会社をつくった目的が、自分たちが経験してきたことを還元する、なんですけど、本当に大事なのってバスケットを教えることじゃなくて、人間的な部分を教えることなんじゃないかって感じています。別会社ですけど、僕はエージェントもやっていて、選手にもそういう話はよくするんです。僕一応元プロですけど、バスケットのことには口を出さないようにしていて、それより、人間的な部分ですね。

小川:篠山竜青も、長くトップレベルで活躍してきた経験を、これからどう生かしていくかということを考える時期だと思うんだけど、彼が本当に貴重な経験をしてきたものを、子どもたちに還元していくのはすごく魅力的ですよね。すごく楽しみ。それに、この間、FID日本代表の合宿に橋本選手に来てもらいましたけど、彼の話はすごく選手に沁みわたった。選手は障害特性によっては、すぐ忘れちゃう選手もいる。でも、それがあの日の夜いろんな選手と話をしたけど、橋本さんの話がすごく頭に残っていた。現役選手が目の前できちっと話をしてくれるのは大事なことだと思いましたね。ありがとうございました。

アレク:僕たちにも貴重な体験でした。僕たち、能登の復興支援も2年連続で行ったんですが、改めて行ってみて、1回で終わらせたくないと感じていて。FIDバスケに関しても、何年も続けて現役や元選手が彼らのためにできることはもっとあると思うので、小川さんと一緒に模索してサポートしたいと改めて思っています。

小川:スポーツってすごく偉大だよね。今のご時世、共感しあう機会はなかなかないかもしれないけど、スポーツをしていれば生まれてくる。それが大きくなっていけば、すごく力が発揮されると思うんだよね。その土台づくり、環境づくりを我々がしているわけで、次の世代の人たちが受け継いでくれればさらに大きくなると思います。

画像1: (C) 88 Basketball

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選手に囲まれた還暦パーティに、「小川さんのように人が集まる人になりたい」

小川:僕が知的障害の世界に入ったのは1998年かな。それから30年近く活動しています。FIDバスケが2000年のシドニーパラリンピックの正式種目に決まった頃に、全国大会を視察させてもらったんです。見に行ったら、レフリーがいてTOがいて、普通の大会なんです。そこで、あるゲームである選手が、ボールをインターセプトして、自分でドリブルしてシュートを決めて、その瞬間に僕の方を見て、両手を上げて雄叫びをあげたんだよね、「うわぁ」って。なんだなんだって思ったら、僕の前にいたコーチに対してのアピールだったんだけど、これが自分がバスケットボールを始めて一番最初にシュートを入れたときの原点を思い出させてくれた。競技人生が長くなってくるとシュートを入れて当たり前になる。だけど、そこにはやっぱり嬉しいとか楽しいっていう根底がある。それをもう一回呼び起こしてくれた。そこからハマっちゃったんです。だから選手には、やっていて楽しいとか嬉しいっていう気持ちをいつまでも持たせてあげたいな、と。

アレク: すごくいい話だと思いました。

小川:僕は日本鋼管(現・JFEスチール)って会社で現役をやって、それから2年間営業で会社にいたのかな。その時にFIDバスケの話をもらって、会社を辞めてこの世界に入ったんです。それで、知的障害の方々が住むグループホームの指導員をしました。利用者さんたちに朝食を食べさせて、行ってらっしゃいと送り出し、帰ってきたら受け入れをして、入浴や食事をして、薬も飲ませて色んな話を聞いて、夜間の管理をする。利用者さんは朝また出ていくでしょ。普通だったら朝から夕方まで休みなんだけど、その間、僕はFIDバスケの仕事をする。その生活を7年半ぐらいやってたんだよね。

画像2: (C) 88 Basketball

(C) 88 Basketball

アレク:すごいですね。

小川:2006年にFIDバスケの世界選手権を横浜で開催しました。それを機にグループホームは辞めて、そしたら、ずっと理事をやっていた神奈川県バスケットボール協会が法人格を取得することになって事務局長をやった。事務局長をやっていたら、横浜でプロバスケットボールチームを立ち上げるって話になって、それでこの世界です。周りの人からは好きなことやってるって言われるけど、ありがたいと思います。いろんな人に支えられて。

アレク:今でも元横浜BCのメンバーで集まりますよね。

小川:すごく嬉しかったのは去年横浜BCのメンバー主催で還暦パーティーをやっていただいて、30人ぐらい集まったかな。みんなの前で赤いちゃんちゃんこを着るとは思わなかったけど(笑)。

アレク:小川さんの人徳です。僕もそういう人間になりたいですね。人が集まるような。

人とのつながりを大切にしてきた2人。後編では、88 Basketball のFIDバスケへの支援や、アレクが実現を目指すセカンドキャリア支援について語り合う。

【プロフィール】

小川直樹

1965年生まれ。日本体育大学、日本鋼管で選手として活躍し、全日本(日本代表)にも選出された。引退後は社業を経てFIDバスケットボールに関わるようになり、シドニーパラリンピックでヘッドコーチとして指揮を執った。2011年からはbjリーグに新規参入する横浜ビー・コルセアーズの初代GMに就任(2017年退任)。現在は一般社団法人日本FIDバスケットボール連盟の副会長兼専務理事、男子日本代表ヘッドコーチを務める。

湊谷安玲久司朱(みなとやあれくしす)

1988年8月31日生まれ、青森県出身。
洛南高校3年次にウィンターカップで優勝、決勝の個人最多得点(40得点)を記録。青山学院大学では橋本とともに3冠を達成。卒業後、三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、茨城ロボッツ、横浜ビー・コルセアーズに所属し2019年に現役を引退。自身のケガの経験からトレーニング、食事、サプリを研究し、ReHopeサプリメントを手がける(株)Alexis を設立。3x3でも日本一を経験している。88 Basketballを運営する株式会社はちはち代表。

取材・文=Qoly バスケ編集部

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