1点すら遠かった、どん底からのスタート
先輩たちがグラウンドを去り、私たちの代になった中学2年の夏。私たちは一瞬で、現実という名の大きな壁にぶち当たった。
7人の頼もしい先輩たちが抜けた穴は予想以上に大きく、チームの力はガクッと落ちた。 試合になればエラーの連発。攻撃にまわっても1点すら遠く、無得点のまま敗れる試合が何度も続いた。
それでも、私たちは諦めなかった。 先輩たちが叶えられなかった「県大会出場」という目標を掲げ、放課後の部活に加え、週2回のナイター練習、土日も休みなくソフトボールに打ち込んだ。
無茶な頼み込みに、父が見せた「言葉のない答え」
最後の大会まであと1ヶ月。チームは県大会を狙えるまでに仕上がっていた。 だが、私ひとりだけが、自分のピッチングに納得がいかず、焦りのど真ん中にいた。
「自分が抑えなきゃ意味がない」という一心で、父に朝練の付き添いを頼んだ。
当時、父は車で1時間半〜2時間ほどの距離に単身赴任していた。週末には当たり前のように練習試合へ駆けつけ、終われば必ず反省会。気が済むまで自主練習に付き合ってくれた。
しかし、赴任先からの通勤を考えれば無茶な要求で、父は最初渋るそぶりを見せた。だが、今のチームで県大会に出場し1日でも長くプレーしたいという私の必死な熱量に押され、引き受けてくれた。
後から知ったのだが、父は最初から断る気などなかったらしい。私に内緒で、すでに家の敷地に手作りのピッチングマウンドを整備してくれていたのだ。
お互い不器用で、感謝や愛情を言葉にするのが下手な親子だった。黙ってマウンドを作ってくれたことこそが、恥ずかしがり屋な父なりの愛情表現だったのだと思う。
朝5時の投球練習で掴み取った、3年間の集大成
それから1ヶ月、父は前夜遅くに帰宅しても欠かさず付き合い、毎朝5時から100球以上の球を受け続けてくれた。
迎えた大会当日、私は3年間で最高のピッチングを見せ、チームは10年ぶりの県大会出場を果たした。
1点も取れなかったどん底のあの日々からは想像もつかない結果に、私たちは涙を流して喜んだ。
諦めずに努力を続けたチームメイトと、私のわがままに寝る間を惜しんで付き合ってくれた父への感謝は、15年経った今でも忘れない。
【体験者:30代・女性、回答時期:2026年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
Qolyコラムニスト:kana
学生時代はソフトボールに打ち込み、現在も夫とスポーツ観戦を楽しむWebライター。周囲にはさまざまな競技に携わってきた友人や家族が多く、選手たちの努力や葛藤、チーム内で生まれる人間関係に強い関心を持っている。試合結果だけではなく、その裏側にあるエピソードや思わぬ出来事に目を向け、スポーツの現場で生まれる感動や驚きを、読者にわかりやすく届けるコラムを執筆している。

