夏の大会直前に手首を骨折した高校球児が、三塁コーチとして最後の試合に臨んだエピソードです。

最後の夏に失った打席

これは、中学時代のチームメイトでライバル校に進んだ友人の話です。

3年生だった彼は外野手として夏の大会を目指していましたが、開幕を前にした練習中、転倒して手首を骨折しました。バットを握ることも、ボールを投げることもできず、最後の大会でベンチに入っても選手として出場するのは難しい状態でした。

落ち込む彼へ監督が任せたのは、走者へ進塁の指示を出す三塁コーチでした。最初は「打席に立てない自分が、何を伝えられるのか」と迷いながら、コーチャーズボックスに立ったそうです。

三塁側から見つけた守備の癖

彼は試合のたびに三塁側から相手の守備を見て、外野手が捕球してから送球するまでの動きをチェックしました。

夏の大会で対戦したチームは、左翼手の肩が強い一方、本塁へ直接投げず、必ず遊撃手を中継に使います。しかも遊撃手は三塁側へ大きく回り込んで捕るため、本塁までの送球にわずかな間が生まれていました。

彼はその癖を監督へ伝え、「左翼方向へ長打が出たら、一塁走者も本塁まで回したい」と提案します。監督はうなずき、判断を彼へ任せました。

腕を回し続けた逆転の場面

1点を追う終盤、2死一塁から打球が左中間を抜けました。一塁走者が二塁を回った時、相手の左翼手は予想どおり遊撃手へ返球します。

彼は迷わず右腕を大きく回し、「回れ!」と叫びました。走者は三塁を蹴り、本塁へ滑り込みます。返球よりわずかに早く手が触れて同点となり、その間に打者走者も三塁へ進みました。

続く内野安打で勝ち越しました。彼は骨折した手を胸元に固定したまま、無事に戻った走者と左手で拳を合わせました。

バットを握らずに残した1点

試合後、同点のホームを踏んだ仲間は「三塁を回った時、お前の声しか聞こえなかった」と彼へ伝えました。記録に彼の打席や守備機会は残りません。

それでも、外野手だった経験と三塁側からの観察が、チームの逆転につながりました。

現在は地域の少年野球でコーチを務め、試合に出ていない子にも、走者への声や相手守備の観察など具体的な役目を渡しているそうです。

プレーできない時間にも、試合を動かす方法があると知っているからです。

【体験者:30代・男性、回答時期:2026年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

Qolyコラムニスト:タニグチ
小学1年から水泳、小学4年からは野球に打ち込み、大学卒業までの実に十数年をグラウンドで過ごしてきた30代。高校では主将としてチームをまとめ、大学では神宮の舞台にも立った。引退後は中学硬式(シニア)で指導者としてもキャリアを重ね、「する側」「観る側」「教える側」のすべての視点からスポーツと向き合ってきた。
プレイヤー・キャプテン・指導者という異なる立場を経験する中で、勝ち負けの記録には残らない人間関係や、試合の裏側で起こる思わぬドラマに強く惹かれるように。チームメイトや教え子、友人・知人から聞いたスポーツにまつわるリアルなエピソードを中心に取材し、感動や驚き、時にはちょっとした仕返し劇まで、スポーツの現場で生まれる人間ドラマをコラムとして執筆している。

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