これは、学生時代からスポーツに打ち込んできた友人と、サッカーをする友人の息子にまつわる実体験です。同じスポーツでも、親と子では大切にしているものが違う。そんな親子の「温度差」に気づいた出来事を紹介します。

「負けたら悔しい」が当たり前だった

私は学生時代、スポーツに本気で打ち込んできました。

試合に出るなら勝ちたい。誰かに負ければ悔しい。できないことがあれば、できるようになるまで練習する。

そんな環境で過ごしてきた私にとって、スポーツとはそういうものでした。

だから、息子がサッカーを始めてからも、どこかで同じような姿を求めていたのだと思います。

けれど、息子は私とは少し違いました。

練習には真面目に取り組むものの、私が思い描いていたような「絶対に負けたくない」という気持ちを、前面に出すタイプではありません。

そんな息子を見ながら、「もっと悔しがってもいいのに」と思うことがありました。

年下にボールを取られて「ナイス!」

ある日の練習中、その違いを強く感じる出来事がありました。

息子のところへボールが来たときのことです。

年下のチームメイトが横からボールを奪うように持っていき、そのままゴールを決めました。

私はその様子を見て、

「そこは自分が取らなきゃダメでしょ!」

と思いました。

ところが、息子は違いました。

ゴールを決めた年下のチームメイトに向かって、笑顔で、

「ナイス!」

と声をかけたのです。

「悔しくないのか!」

その姿を見た瞬間、私は思わず腹が立ちました。

「悔しくないのか!」

私だったら、年下の子にボールを取られたことが悔しくて仕方がない。次は絶対に取られたくないと思うはずです。

でも、息子は私に怒られても、どこかきょとんとしたような様子でした。

そのときの私は、「どうして分からないんだろう」と思っていました。

けれど、あとになって考えると、息子がサッカーに真剣ではないわけではありません。

自分がボールを取れなかったことと、仲間がいいプレーをしたこと。

息子の中では、それは別のことだったのかもしれません。

私は「年下に取られた」という勝負を見ていた。

息子は「仲間がゴールを決めた」というプレーを見ていた。

同じ場面を見ていたはずなのに、親子で見えていたものは違っていたのです。

息子には、息子のスポーツがある

自分がスポーツに打ち込んできたからこそ、私は無意識に、自分の価値観を息子にも求めていました。

負けたら悔しがってほしい。競争には勝とうとしてほしい。

それも、スポーツの大切な一面だと思います。

でも、仲間の活躍を素直に喜べることもまた、スポーツの中で育つ力なのかもしれません。

親子だからといって、同じようにスポーツを好きになり、同じことに悔しがり、同じものを大切にするとは限らない。

あの日、年下のチームメイトに笑顔で「ナイス!」と言った息子を見て、私はそんな当たり前のことに気づきました。

息子には、息子なりのスポーツとの向き合い方がある。

今は、それを私の「正解」に近づけるのではなく、息子が何を感じながらスポーツをしているのかを見ていたいと思っています。

【体験者:30代・女性、回答時期:2026年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

Qolyコラムニスト:サトミ

学生時代は約10年間スポーツに打ち込み、現在は2児を育てる30代。競技経験と保護者としての経験を生かし、スポーツの魅力や親子の成長、スポーツの現場で生まれる人間ドラマを中心に執筆している。

This article is a sponsored article by
''.