主将だけが消えた大会名簿
これは、私の職場の先輩から聞いた話です。
高校3年の時、先輩はラグビー部の主将でした。最後の県大会を前に足首を痛めましたが、テーピングをすれば走れると考え、出場を希望したそうです。練習では痛みを隠して最後まで走りました。
ところが発表された名簿に先輩の名前だけがありません。監督は「今大会では使わない」としか説明せず、先輩は「なんでキャプテンの俺を外すんだ」と思ったそうです。抗議しても答えは変わらず、主将の先輩はベンチ外で最後の大会を見守ります。
話さなくなった恩師
チームは準決勝で敗れました。先輩は悔しさから、試合後の集合写真にも入らず、監督へ礼を言わないまま卒業します。
大学では競技を続けましたが、高校時代の話を避け、同窓会にも参加しませんでした。足首は休養で回復し、大学では4年間プレーできましたが、それを監督の判断と結び付けることはありませんでした。
数年後に監督が亡くなったと聞いても、葬儀へ行く勇気が出なかったそうです。先輩の中では、最後に自分だけを外した人のままでした。
10年後に届いた診療記録
卒業から10年後、学校から一通の封筒が届きます。中身は当時の診療情報提供書の写しでした。監督室として使っていたプレハブの撤去が決まり、残されていた個人情報の書類を返却しているとのことでした。
そこには、足首の状態で接触プレーを続ければ、長期離脱につながる可能性があるという医師の見解が記されています。
さらに監督の字で、「本人は必ず出ると言う。説明すれば無理を隠す。恨まれても名簿から外す」とありました。力を見限ったのではなく、先輩の性格まで読んだ判断でした。
遅れて写った集合写真
先輩は母校を訪れ、監督室に保管されていた大会写真を見ました。集合写真の端には、ベンチ外の先輩が遠くから仲間を見ている姿も小さく写っていました。
後輩へ事情を話すと、その写真を拡大し、現在の部室へ飾ってくれました。先輩は今、息子のラグビーチームで安全係を務め、出たいと言う選手を止める役目も引き受けています。
10年遅れで知った監督の意図を、今度は黙ったままにせず、選手へ言葉で伝えています。
【体験者:40代・男性、回答時期:2026年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


