ベンチで相手を撮り続けた補欠
これは、私の大学時代の後輩から聞いた話です。
大学2年の後輩はフェンシング部に所属していましたが、春の団体戦では選手に入れず、ベンチから試合を撮影する係になりました。同期がコートで戦う中、画面越しに見るだけの役目を悔しく感じていたそうです。
それでも次の対戦相手を撮り続けるうち、相手主将が攻撃を始める前、右足のつま先を一度だけ内側へ向けることに気づきます。別の試合でも同じ動きの直後に、長い踏み込みから攻めていました。
渡せなかった小さなメモ
決勝の前、後輩は「右足が内側へ入ったら攻撃が来ます」と紙へ書きました。しかし選手経験の少ない自分が、主将へ口を出してよいのか迷います。
決勝が始まると、主将は相手の速い攻撃を受け、先に点差を広げられました。タイムの間、後輩は紙を握ったまま動けません。
隣にいた先輩から「撮っていた君にしか見えないものは?」と聞かれ、ようやくメモを差し出します。主将はメモを読み無言でうなずきました。
つま先が内側へ向いた瞬間
再開後、相手主将の右足が内側へ入ります。主将は先に攻めず、半歩だけ距離を取って相手の踏み込みをかわしました。伸び切った腕の脇へ剣先を当て、1点を返します。
同じ動きが出るたびに守ってから反撃し、点差は少しずつ縮まりました。最後の1点でも、つま先が動いた瞬間に主将が後ろへ跳び、相手の攻撃を空振りさせます。
逆転が決まると、主将はマスクを外すより先にベンチへ走り、後輩にハグを求めたそうです。
画面の外へ出た気づき
表彰後、主将は部員全員の前で「決勝の1点目は、このメモから始まった」と紹介しました。後輩は、自分が試合へ出ていなくても、見た事実を伝える責任があると気づいたそうです。
その後は撮影した映像へ相手の癖を記録し、チームの分析役を任されます。3年生では選手としても団体戦に出場しました。
現在、仕事の会議でも、役職がないからと気づきを飲み込みません。コートの外にいる人だけが見つけられる右足もあると知っているからです。
【体験者:30代・男性、回答時期:2026年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


