リオネル・メッシ

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アルゼンチン代表:189試合112得点(2005~)

対立したオランダ人:ロナルト・クーマン監督

サッカー史上最高の選手の一人であるメッシも、オランダ人指揮官から屈辱を味わった。

現在オランダ代表を率いるクーマン監督は、ヨハン・クライフが作った伝説的ドリームチームの中心選手であり、バルセロナ史上初のヨーロッパ制覇に貢献したレジェンド中のレジェンド。

そんな彼は指揮官としてオランダでは成功しているものの、国外ではその独善的かつ高圧的な振る舞いによってたびたび選手と衝突している。

2020年夏、古巣バルセロナの監督に就任した際には、メッシに対して「君のチーム内での特別扱いは終わりだ。チームのためにできることをすべてやらなければならない」と伝えたとされ、退団騒動が勃発することに。

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その後メッシは一転して残留を表明し、クーマンも「(騒動はあくまで)メッシとクラブの対立」と報道を一蹴した。

しかし結局メッシは翌年夏、誰よりも愛し愛されたバルセロナを退団してフランスのPSGへ移籍。クラブのシンボルを失ったクーマンはバルセロナ再建に失敗し、職を追われている。

小野伸二

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日本代表:56試合6得点(1998-2008)

対立したオランダ人:ベルト・ファンマルワイク監督

確執ほどではなかったが、日本の天才・小野伸二もオランダ人の指揮官から厳しい言葉を浴びせられている。

高卒1年目の1998年に18歳でワールドカップのメンバーに選出された小野。卓越したテクニックと創造性に富んだ“ベルベットパス”で浦和レッズを牽引し、2001年夏にはオランダの強豪フェイエノールトへ移籍した。

中村俊輔とともに日本で天才の名を欲しいままにしていた小野だったが、当時の指揮官だったベルト・ファンマルワイク監督からはきつい一言。

「サーカスのようなプレーは必要ない。フットボールをしろ」

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後にオランダ代表を率いて2010年ワールドカップ準優勝に導いた名将は、技術をひけらかすのではなく、堅実にフットボールすることを求めた。

ただ指揮官の姿勢は小野を変えるキッカケとなった。それまで古典的なトップ下だった極東の天才は、ファンマルワイクのもとでセントラルMFとして新境地を開くことに。

ファンマルワイクは2020年、当時の小野を振り返り「信じられないほど素晴らしかった」と褒めたたえている。

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