新たなチャレンジに向かって

例えば米倉(恒貴)は、ガンバ大阪からジェフに戻って、チームを引っ張っていく存在になった。僕は彼がルーキーのときを知っているから、もうそんな立場になったんだなと感慨深いです。

米倉が初めて練習参加をしに来たときは、阿部勇樹(現・浦和レッドダイヤモンズ ユース監督)にガツガツと行っていて、すごくいいパフォーマンスをみせていた。当時から物怖じしない性格で、あのころから一生懸命、ひたむきな選手でした。むかしは粗削りな部分もあったかもしれないけど、根本にある気持ちの部分が強かったからこそ、37歳までやってこられたと思います。

降格はもちろん、昇格できないことは大変だったと思う。それこそ、(佐藤)勇人たちOBの個人的な葛藤や、難しさも知っていた。だから、ここからまたみんなが新たなチャレンジに向かっていけるはずです。

画像: イビチャ・オシム元監督(C)Getty Images

イビチャ・オシム元監督(C)Getty Images

オリジナル10のジェフが本来いるべきところに戻った。それが本当に良かったです。でも、ここからはまたJ1仕様にしていかなきゃいけない難しいシーズンになると思います。J1に定着するために、ひとしきり喜んだ後には切り替えて、来シーズンに向かうことが重要になってくる。

オシムさんも、めちゃくちゃ喜んでくれると思います。だけど、すぐに「ここからが大変だからな」「J1に上がってから何をするかが大事だ」と、僕には思いつかない哲学的なカッコイイ言葉をくれると思います。 あの人はそういう人なんで(笑)。

(羽生直剛)

羽生直剛(はにゅう・なおたけ)1979年12月22日生まれ、千葉県千葉市出身。45歳。千葉県立八千代高から筑波大学へ進学後、2002年に当時J1のジェフユナイテッド千葉へ入団して同年にプロデビューを飾った。2022年5月に亡くなったイビチャ・オシム元監督らの指導を受けて2007年まで在籍。その後FC東京、ヴァンフォーレ甲府で活躍し、2017年に当時J2の千葉に復帰し、同年限りで現役を引退した。日本代表通算17試合、J1通算344試合29得点、J2通算45試合5得点。現在は2020年2月に設立した株式会社AMBITION22で代表取締役、最高経営責任者を務める。

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