(その年齢で両親と離れることに不安はなかった?)
両親がいないのは楽ではありませんでしたが、祖父母が面倒を見てくれました。夏休みはいつもドイツにいましたし、そこで暮らすのが夢だったんです。正しい決断でした。(両親にとっても)簡単な決断ではなかったと思いますが、僕がやることすべてを応援してくれました。常に僕の望みを優先してくれて、そのことにとても感謝しているんです。
(ポジションについて)
サッカーを始めた頃は左ウィングだったんですが、川崎フロンターレではすでにGKをやっていました。手を怪我した時にはGK以外でプレーすることもあったので、足元のプレーがうまくなったのはそのおかげだと思います。
(日本とドイツの両国代表としてプレーする資格があるが、2026年ワールドカップを前にしてどちらに傾いている?)
ワールドカップについてはどちらにも傾いていません。なぜなら、それが影響するとは思わないので。正直、その後にどうなるかについてもどちらにも傾いていません。決めるにはもう少し時間が必要です。まだ確信がないので」
長田については日本サッカー協会も注視しているが、まだどちらのフル代表を選ぶかは決め切れていないようだ。
ちなみに、川崎で一緒だった日本代表DF高井幸大(現トッテナム)とは今でも連絡を取り合っている仲だそう。
そして、ブレーメンで同僚になった菅原との関係性については、「とても親密です。ロッカールームでも隣通しなのは、(チームが)狙ってやったことだと思います。お互いに日本語で話しますし、彼は僕をとても助けてくれています。おかげでこれまで以上にリラックスできているので。彼の家によく行きますし、一緒に食事をしたりもします。だから、絆はかなり強いですよ」と語っていた。
筆者:井上大輔(編集部)
