父の敏史さんが電話で一言
今後の去就や求めるリーグレベルについては各クラブと相談した上で決めるつもりだ。海外リーグを含めて、カテゴリーが下がったとしてもプレーする機会を優先したいと語ったが、引退する可能性もあるという。
また、報道陣からは父の敏史さんが監督を務めるJFL浦安での親子共闘も期待されたが、「都並家はそういうのをやっていない」とバッサリ。
「電話しても『お前、甘くないからな』と言われて切られただけ。もちろんですよ(笑)。クラブとして取ってやるからとか、そういうのはない」と、敏史さんとのやり取りを笑いながら明かした。

DF馬渡和彰と笑顔で談笑する都並(写真:浅野凜太郎)
はじめから父を頼るつもりはなかったのだろう。7年前のトライアウトでも自分の力で奈良との契約を勝ち取り、J3にまで上がってきたように、自分の道は自分で切り開いてきた。
もちろん、これからも変わらない。
「そっちの方が僕としても気持ちがいい。父親はサッカー界のレジェンドとして、すごいプレッシャーを受けながら監督をやっていると思う。僕は一人の都並優太という選手として、責任と覚悟を持って次のキャリアがあれば進みたいし、そうでなければ選手を終えるしかない。たとえそうなったとしても、このサッカー人生で積み上げたものは次の人生にも生きると思います」

パスコースを探す都並(写真:浅野凜太郎)
不退転の覚悟で臨んだトライアウトを終えた都並は、最後まで笑顔だった。今後のキャリアはまだ誰にも分からないが、どんな状況でも都並優太は都並優太らしく乗り越える。
(取材・文・写真:浅野凜太郎)
