マンチェスター・ユナイテッドのレジェンドとして知られている元イングランド代表MFポール・スコールズが、「クラブの歴史上最悪の補強」としてオーストラリア代表GKマーク・ボスニッチをピックアップしていた。
マーク・ボスニッチは1972年生まれのゴールキーパー。1989年に若くして生まれ故郷のオーストラリアからイングランドに渡り、マンチェスター・ユナイテッドと契約したことで知られる。1991年には一旦オーストラリアに戻り、その後アストン・ヴィラで活躍した。
そして1999年6月にピーター・シュマイケルの後釜候補としてマンチェスター・ユナイテッドに復帰したものの、そこではレギュラーを確保できず。ファビアン・バルテズが獲得されたこともあり、2001年1月のマーケットでチェルシーへと移籍した。
YouTubeポッドキャストの『The Overlap』に出演したポール・スコールズは、ボスニッチのことを「マンチェスター・ユナイテッドの歴史上最悪の補強だった」と告白し、以下のように話していた。
「セバスティアン・ベロンがマンチェスター・ユナイテッド歴史上最悪の補強と言われているが、彼は素晴らしい選手だったよ。才能ある男だった。なぜうまく行かなかったのかはわからないが、本当にいいプレーヤーだったんだ。
ゴールキーパーのことを思い出すと、ピーター・シュマイケルの後釜を探す必要があった。そのような状況はいつだって難しいものだ。その候補は何人かいた。マッシモ・タイービ、マーク・ボスニッチらのことが記憶に残っている。
マークはアストン・ヴィラの時はいいキーパーだと思っていたけどね。でもマンチェスター・ユナイテッドに来た時は、本当にプロ意識を欠いていた。正直、信じられないくらいにね。
シュート練習では、普通は15~20本くらいやるものだ。しかし、彼は3本ほど打っただけで疲れ果てて『ああ、もうダメだ、誰か打ってくれ』と言うくらいだった。
彼がサッカーボールを蹴れないなんて、あの時まで気づかなかったよ。あんなのは初めて見た。最初の試合でエヴァートンと対戦したんだけど、彼はハーフウェーラインまでキックを届かせることができなかった。
風もなくて、コンディションは完璧だったよ。彼の足は14サイズ(33cm)もあって足ヒレみたいだったが、ずっと地面を蹴っていた。正直に言って、残念だったよ」
なお、スコールズの師匠であるアレックス・ファーガソン監督も自伝でボスニッチのプロ意識の欠如を指摘していたが、ボスニッチはそれらのことを「ただの嘘だ」否定している。
ボスニッチはマンチェスター・ユナイテッドを退団してから所属したチェルシーでコカイン中毒が明らかとなり、ドーピング違反で9ヶ月もの出場停止処分を受けたことでも知られている。現在は母国オーストラリアで解説者や代理人として活動しているとのこと。
筆者:石井彰(編集部)
