マンチェスター・ユナイテッドのDFレニー・ヨロが、制限速度30マイルの区域をポルシェで70マイル(およそ112km/h)以上で走行し、6ヶ月の運転免許停止処分を受けた。
プレミアリーグの若手選手にとって、これはある種の「通過儀礼」のようなものかもしれない。彼以前にもハンドルを握る権利を失った名プレーヤーは数多く存在し、残念ながら彼が最後にもならない。
今回は『Planet Football』から「プレミアリーグを彩ったスターたちの免停にまつわるエピソード」をご紹介する。
デイヴィッド・ベッカム
1999年、まさにキャリアの全盛期を謳歌していたイケメンスターのデイヴィッド・ベッカム。ストックポートの幹線道路(制限50マイル)を76マイルで走行して摘発された際、すでに免許の違反ポイントが8点も溜まっていた。
その結果800ポンドの罰金と8ヶ月の免停を言い渡され、アンディ・コールやドワイト・ヨークといった三冠メンバーの免停仲間に加わることに。
ところが、この時のベッカムは控訴に成功したのである。愛車のフェラーリ・マラネロを飛ばしたのは「パパラッチから逃げるための緊急避難的状況だった」という主張が裁判官に認められ、免許を奪還したのだ。
彼は「追いかけられるたびに時速10マイルまで落としていたら、どこにも辿り着けないよ」と法廷で語っていた。ただ、2019年に運転中の携帯電話使用を激写されて6ヶ月の免停になった際は、さすがにこの言い訳は通用しなかったようだ。
リオ・ファーディナンド
Wikipediaの個人ページに「運転禁止処分」という独立したセクションがある時点で、彼のドライビングの凄まじさがわかるだろう。
リオの違反歴は1997年にまで遡る。夜遊びした翌朝に飲酒検問で基準値をわずかに上回り、1年間の免停処分に。その結果、グレン・ホドル監督によってワールドカップ予選のメンバーから外され、イングランド代表デビューが半年以上遅れる羽目になった。
その後も2002年、2003年、2005年とスピード違反で免停を繰り返し、つい最近の2020年8月にも4度目の処分を受けている。
さらに彼の弟のアントン・ファーディナンドも、兄の背中を追うように2007年と2012年に6ヶ月の免停を経験している。1度目は累積ポイント、2度目は運転中の携帯電話使用を警察官に現行犯で押さえられたのが原因だった。
