アーセナルでキャプテンも務めていた元フランス代表DFローラン・コシェルニが、突如アメリカでのキャンプに帯同することを拒否。チームから無断で離脱した。

ウスマヌ・デンベレやジエゴ・コスタなど、移籍や契約のゴタゴタから「無断欠勤(連絡がつかない)」状況になる選手はそこそこいる。

しかし、それ以外の珍しい理由によってチームから無断離脱した選手たちもいる。『FourFourTwo』のセレクションを見ていこう。

ジョージ・ベスト

画像1: (C)Getty Image
(C)Getty Image

1971年、マンチェスター・ユナイテッドはチェルシーとの重要な試合を戦うためにロンドンへと向かった。しかし彼らのスター選手であったジョージ・ベストはどこにも見当たらなかった。

この頃25歳ながらすでにキャリアの終盤を迎えていたベスト。長年に渡る飲酒が体を蝕んでいたが、それでも彼はチームのアイドルだった。

ロンドンに向かう電車に顔を見せなかったベストは、若き女優のシニード・カサックのアパートで週末を過ごしていたのだ。メディアの注目を集めるベストが、さらにカメラマンの標的になるキッカケとなった。

この事件は「失われた週末」と呼ばれており、昨年なぜか英国で舞台化されている。

グラハム・フレンチ

「フレンチはどこに行ったんだ?」1970年、アウェイゲームに向かうルートン・タウンは混乱に陥った。

人気選手のウイング、フレンチが突如いなくなってしまったからだ。

パブでの銃撃事件に関係した疑いで事情聴取を求められたとき、フレンチは「ずらかった」のだった。結局ベッドフォード近郊で逮捕され、3年の懲役刑を言い渡された。

ルートンが釈放を待つほどの素晴らしい選手であったが、結局獄中生活は彼の才能を全て奪ってしまった。

ジョルジュ・カデテ

画像2: (C)Getty Image
(C)Getty Image

ポルトガル人ストライカーのジョルジュ・カデテは、1996年にセルティックと契約した後37試合で30ゴールを記録。その圧倒的な得点力でチームを救った。

しかしそのシーズンを終えたあとの夏、リスボンに住んでいる妻が彼に言った。「犬の体調がおかしいの」と。ジョルジュ・カデテはセルティックよりも愛犬を救うためにすぐリスボンへ向かい、トレーニングに現れることはなかった。

あの狂人パオロ・ディ・カーニオも、セルティック時代に「オレよりもジョルジュ・カデテのほうが狂っていたと思うね」と発言している。

ハスマウィ・ハッサン

「マウィ」というあだ名で知られたマレーシアの名FW。事件は2004年に開かれた彼の結婚式で発生した。

ノルリダというモデルの彼女と結婚するはずだった彼は土壇場で心を変え、1000人を招待した披露宴から姿を消した。そしてチームメイトの怒りに直面することを避けるため、トレーニングに現れなかった。

サッカー協会が「彼はスポーツのイメージを傷つけた」と批判の声明も出すなか、ハッサンは1週間後に練習へとこっそり戻り、結局許されている。

ただ、結婚を反故にされた元彼女はハッサンの「黒魔術に取り憑かれていたんだ」という主張を受け入れず、告訴しようとした。

This article is a sponsored article by
''.