オマル・ラロサ
アルゼンチン代表で11試合に出場し、1978年W杯の優勝メンバーだったMFラロサは、サン・ロレンソでプレーした1981年を最後に現役を引退した。
その後すぐに彼はサッカー界どころか社会から姿を消した。
名選手だった彼に仕事を頼みたい人がたくさんいたにもかかわらずだ。「ギャングに殺された」という噂まで出た。
しかし彼は80年台終盤になって人前に現れた。そして「私は10年の間山を歩き回っていたのだ。そして、自分の魂や心の良さを発見しようとしたのだ」と語った。
エデル・アレイショ

強烈な左足のキックから「オ・カニョン(大砲)」「ダイナマイト」などの渾名を付けられたブラジル代表FWエデル。1982年のワールドカップのメンバーに選ばれた選手で、あのペレからもその才能を高く評価されていた。その一方で自由奔放な生活でも有名で、1978年にはナイトクラブで女性を巡って喧嘩を起こし、ピストルで右腕を撃たれるという事件にも遭遇している。
そして1986年ワールドカップの前、エデルはペルー戦で相手選手にパンチを食らわせて退場。この影響で名将テレ・サンターナは彼を本大会のメンバーから外した。
エデルはその直後に「除外で完全に失望した」と話して姿を消した。「自殺するのでは?」とも噂された。そしてメディアはテレ・サンターナを激しく批判し始め、それに乗じてエデルは再び姿を見せた。
「世界の国を相手に、エデルなしでは戦えないということを見せてやりたかった」とエデルは失踪の理由を語った。そしてブラジル代表は準々決勝で敗退した。
ヘルムート・ドゥカダム
ステアウア・ブカレストでプレーしていたルーマニア人GKヘルムート・ドゥカダムは、1985-86のチャンピオンズカップ(元チャンピオンズリーグ)決勝でバルセロナを相手に勝利の立役者になった。
PK戦で4本のシュートを止めて、MVPとして副賞の高級車も受け取った。しかしながら、彼はその直後の夏に姿を消してしまった。
「賞品の拠出を拒否して独裁者チャウシェスクに罰則を受けそうになった」「警察に捕まった」などの噂が流れる謎の失踪であった。
3年後に彼は再び表舞台に現れ、その理由は「稀な血液疾患に罹ったため」だと話した。2部のヴァゴヌル・アラドで現役復帰したが、あまり活躍できずに32歳で現役を離れている。
ホームレス・ワールドカップ2008

メルボルンで行なわれたホームレスワールドカップ2008。世界各国から住む家を失った人々が集まり、サッカーで戦うイベントだ。
全世界から男女440名が登録されたが、大会後に多くの選手がチームから失踪した。ジンバブエ、アフガニスタン、ルワンダなどの代表選手が亡命を希望。リベリアの女子代表チームは全員が姿を消した。
最終的にはおよそ60名の選手たちが帰国することを拒否し、先進国オーストラリアでの生活を求めた。FIFAが与えようとしたチャンスはそういうものではなかったはずだが。
アドリアーノ

2009年に行なわれたペルー代表との親善試合でブラジルに帰国したアドリアーノは、イタリアに戻ることを拒否。当時所属していたインテルは彼の契約を解除した。
パルマ時代は中田英寿らと共にプレーし、その高い身体能力から「怪物」と呼ばれたアドリアーノ。無所属の期間を経験してからフラメンゴでピッチに復帰し、一時は復調を感じさせるプレーを見せた。
しかし2010年にローマと契約してイタリアに戻ってからはトラブルが相次ぎ、結局これ以降まともにプレーすることなく2016年に現役を引退した。
スティーヴン・アイルランド

2007年、アイルランドはチェコとの試合を前にして彼女のジェシカから悲劇的な連絡を受けたという。「祖母が亡くなった」アイルランド代表はその報告を受け、アイルランドに思いやりある休暇を与えた。
しかしメディアは母方の祖母が生きていることを確認。アイルランドは「父方の祖母だった」と話したが、そちらも生きていた。「なぜアイルランドはいなくなったのか?」大きな話題になった。
ウソにウソを重ねて全てがバレたアイルランドは、最終的に「流産した彼女のところに行きたかった」と話し、祖母の死という報告をしたことを後悔していると認めた。
筆者:石井彰(編集部)
