明治安田J2・J3百年構想リーグも佳境を迎えたが、J2のモンテディオ山形は、5月31日(日)にクラブ30周年を記念したレジェンドマッチの開催を発表し、チームを支えた往年の40人以上の名選手が久々にスタジアムに姿を見せ、サポーターの前で2026年の“等身大のプレー”を披露することが予定されている。ここではモンテディオがJ1に初昇格した2008年に広報を務めた三上浩樹氏にインタビューを敢行。当時の裏話を伺った。

クラブ運営のアルバイトから、モンテディオ山形のスタッフに

画像1: クラブ運営のアルバイトから、モンテディオ山形のスタッフに

――まずは三上さんが、モンテディオ山形で働くことになった経緯を聞かせてください。

僕は2005年4月、当時モンテディオ山形を運営していた公益社団法人の「山形県スポーツ振興21世紀協会」に入り、2009年まで勤務していました。

山形で学生生活を送っていた頃に試合運営のアルバイトをしていて、新卒で入った広告の会社を辞めた2004年の夏、「モンテディオの仕事が出来るチャンスはないのかな?」と、再び
ホームゲームのアルバイトを始めることにしたんです。

あるタイミングで「会社を辞めてフリーなので、広報の仕事とか、できたりしませんか?」と尋ねてみると、「ああ、考えておくね……」と言われて。その反応を見て、「これはダメだ」と内心思いつつ、アタックは続けたんですよ。すると今後について考え始めていた翌年の初め頃に「もし、チームが昇格したら、スタッフが足らないかも……」と声をかけてもらい、2005年4月から働かせてもらうことができました。

――入社後はどのようなお仕事を担当されたのですか?

最初はグッズ担当としての仕事がメインでした。今では各チームがオリジナルティ溢れるグッズを展開していますが、当時はまだそういったものはほとんどなくて。Jリーグが制作を委託するメーカーさんに、各クラブのグッズを作っていただき、それを販売する流れでした。

だからどこのクラブも似たようなデザインのグッズが多く、「モンテディオらしさにあふれたグッズを作れないかな」と思うようになり、さまざまなことに取り組みました。

またクラブ広報として力を入れていたのが、ホームゲームで皆さんに配布するマッチデープログラムでした。制作は地元の会社に依頼していましたが、ディレクションや校正、校閲などを担当していました。

画像2: クラブ運営のアルバイトから、モンテディオ山形のスタッフに

―― 一番大変な時期はいつでしたか?

大体忙しいんですけど、その中で一番大変なのは、ゴールデンウィークでした。早めに印刷を終えないといけなかったので、前節までの流れや、怪我人などのチームの最新情報をなかなか入れられず、苦労したことはありました。ただ今でもこのプログラムを大切に持ってくださっている方もいらしたりして、情熱を注ぎ込んで作ったので、本当に嬉しいです。あとはマッチデープログラムを使って、プレゼントがもらえる抽選会を実施して、皆さんに楽しんでいただけるようなスタジアム作りを心がけました。

経営に余裕がなくて、アウェイ戦に帯同できないことも

画像: 当時使用していた広報のパス(当時撮影)

当時使用していた広報のパス(当時撮影)

――その後、どのタイミングでチーム広報に転身されたのでしょう?

2005年の開幕から、徐々に広報の事務仕事を任されるようになり、2008年から現場を任されるようになりました。

――まさにJ1昇格を決めた年なんですね! と言うことは、選手の皆さんと一緒に過ごしながら、J1への道のりを歩まれたと思うのが、どのような業務に励まれていたんですか? 

それが……広報は選手と一緒にバスに乗り、SNSで動画を投稿するようなケースが一般的なんですが、当時はまだそういったことがほとんどなく。

チームの資金に余裕がなかったこともあり、遠方のアウェイ戦には広報が帯同せず、マネージャーに当日の広報業務をお願いしていたこともあったくらいです。当時は今ほどSNSも発達していなかったので、フロント、運営スタッフ、メディアやファンの皆さんと円滑な関係性を築くことが主な業務だったのかなと思います。

――選手と親しくなることもありますか?

何を「親しい」とするかは人それぞれだと思いますが、選手の皆さんが抱えている悩みを打ち明けられたり、プライベートの相談を持ちかけられることもありましたし、それをきっかけに打ち解けるようなこともあったかな。

当時はまだ若かったので、それらに対応するのは難しいんですけど、適当なことも言えないので、真摯になって答えたりはしていましたが、「果たして本当に参考になるようなことは言えていたのかな?」(苦笑) 今振り返ってみると不安しかありません。

画像: 経営に余裕がなくて、アウェイ戦に帯同できないことも

第一印象は「性格の良さそうなおじさん」小林伸二体制でのJ1初昇格を振り返る

――「昇格請負人」の異名を取る小林伸二氏(現在、AC長野パルセイロ監督)に率いられたチームは、2008年にJ1初昇格を果たします。

この年から、現場で対応する広報が僕一人になってしまって。昇格は嬉しかったですけど、まさか全く休みという休みが取れず、昼夜を問わず電話が鳴り続けるほどに忙殺されることになろうとは、開幕した頃は思いもしませんでした。

――2008年シーズンは小林伸二氏が指揮官に就任し、チームは躍進することになりますが、小林監督はどのような方でしたか?

初めてお会いした時に、「すごく性格の良さそうなおじさんが来たな」という印象でした。事務所で挨拶を済ませると、当時のGMから「仲良くなるために一緒に食事でも行ってきたら?」と提案されて、近くのラーメン屋に行ったんですよ。

その後ラーメンを食べながら、監督は「美味かぁ……」とやや作られた感じの博多弁を話されていたのが記憶に残っていて。内心は「長崎県出身じゃなかったっけ……?」と思いながらも(苦笑)。前職がアビスパ福岡のチーム総括でしたし、これまでの経歴をお伺いして、顔合わせは終わりました。

画像: J1昇格決定後に販売された当時のグッズ。三上さんも一部制作に携わったそう。

J1昇格決定後に販売された当時のグッズ。三上さんも一部制作に携わったそう。

――2008年の戦いを振り返る貴重なグッズをお持ちいただきましたが、それを見ながら、改めて初のJ1昇格を振り返っていきましょう。

これ、久々に開けるんですよ。懐かしいな。2008年の開幕はアウェイの鳥栖戦でしたが、先ほどもお話しさせていただいたように、金銭面を理由に僕は帯同しませんでした。今では広報の方が試合に同行するケースがほとんどだと思いますが、僕が帯同したアウェイゲームは、原則として仙台や水戸といった車などで行ける近隣のアウェイ戦だけでしたね。

――ホーム開幕戦(第3節)ではFC岐阜との対戦でした。

FC岐阜に3点取っていますけど、片桐淳至選手、片山真人選手の2トップに「ボコボコにされた」覚えがあって、今季も厳しい戦いになるのかなと憂いたような気がします。

【J2第3節】(NDスタ)山形3-5岐阜
<得点者>
山形:豊田陽平(15分)、渡辺匠(18分)、レオナルド(89分)
岐阜:高木和正2(11、46分)、片山真人2(26、44分)、菅和範(83分)

その後は調子も上向き、チームの雰囲気も変わったことを覚えています。サンフレッチェ広島(0対1)には負けてしまいましたが、まずは守備を構築し、大型FWが得点を量産する戦術が徐々に構築されてきていた頃で、比較的安定した戦いができていたように感じます。

――第14節ではベガルタ仙台との「みちのくダービー」に臨むも、逆転負けを喫しました。

一番盛り上がる『みちのくダービー』に逆転負けして、本当に悔しかったですけど、今思えば、改めて自分たちのサッカーを見直す転機になった試合だったのかなと。

【J2第14節】(ユアスタ)仙台3-2山形
<得点者>
仙台:平瀬智行(51分)、梁勇基(80分)、佐藤由紀彦(84分)
山形:秋葉勝(18分)、長谷川悠(39分)

続く第15節の徳島戦から5連勝したチームは、再び第20節でベガルタ仙台と顔を合わせ、リベンジすることができましたから。

【J2第20節】(NDスタ)山形3-0仙台
<得点者>
山形:宮沢克行(18分)、石井秀典(61分)、長谷川悠(89分)

――2008年シーズンを通して一番辛かった時期はいつですか?

3連敗した7月頃です。当時苦手にしていた岐阜に1対2(7月6日・長良川)、セレッソ大阪に0対2(7月9日・NDスタ)、水戸に1対2(7月12日・笠松)で敗れて、やっぱりキツかったですよね。

画像: Getty Images 日本代表でも活躍した豊田陽平氏(現、サガン鳥栖クラブコンダクター)

Getty Images 日本代表でも活躍した豊田陽平氏(現、サガン鳥栖クラブコンダクター)

――その後の草津戦に1対0で勝利(7月25日・NDスタ)し、愛媛にも3対0(8月10日・NDスタ)で勝利したチームは、再びアウェイで仙台と対戦。北京五輪を経験した豊田選手のゴールが決まり、1対0で勝利しました。

【J2第31節】(NDスタ)山形 1-0仙台
<得点者> 山形:豊田陽平(78分)

2008年に一番喜んだ試合でしたね。(豊田選手の)加入1年目の2007年シーズンではサテライト戦の大怪我で戦線を離脱することになり、それを乗り越え、北京五輪を経験して、再びチームに戻ってきてくれた豊田選手の劇的なゴールは、チームに勢いをもたらしてくれたように感じます。

豊田選手と2トップを組む長谷川悠選手や、守備的MFの佐藤健太郎選手、DFの石井秀典選手といった大学からチームに入ってきてくれた若手選手が頑張ってくれて、世代交代が順調に進み、円滑にチーム運営ができるようになっていたのかなと。でも、やっぱりきついシーズンではありましたね。

取材:JUN.S

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