フランコ・バレージの6番とパオロ・マルディーニの3番。共に、キャリアの全てをミランに捧げ、カピターノとしてクラブに多くの栄光をもたらした、サッカー史に残る名選手である。二人のバンディエラの栄誉と栄光の歴史を末永く称えるため、クラブは二人の引退と同時に背番号を永久欠番とする事を決めた。(マルディーニの3番は彼の息子のみ引き継ぐ事ができる)
偉大なる永久欠番の傍らで、他の背番号も別の歴史を綴ってきた。下記表は、セリエAにおいて固定背番号制が導入された1995-1996シーズン以降における、ミランの主な背番号の歴史である。表を見ながら、その歴史を振り返ってみよう。
<ミランにおける攻撃的な背番号の歴史>
11 | 9 | 7 | 10 | |
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2009-2010 | フンテラール | F.インザーギ | パト | セードルフ |
2008-2009 | ボリエッロ | F.インザーギ | パト | セードルフ |
2007-2008 | ジラルディーノ | F.インザーギ | パト* | セードルフ |
2006-2007 | ジラルディーノ | F.インザーギ | リカルド・オリヴェイラ | セードルフ |
2005-2006 | ジラルディーノ | F.インザーギ | シェフチェンコ | ルイ・コスタ |
2004-2005 | クレスポ | F.インザーギ | シェフチェンコ | ルイ・コスタ |
2003-2004 | リバウド | F.インザーギ | シェフチェンコ | ルイ・コスタ |
2002-2003 | リバウド | F.インザーギ | シェフチェンコ | ルイ・コスタ |
2001-2002 | アリュー | F.インザーギ | シェフチェンコ | ルイ・コスタ |
2000-2001 | ホセ・マリ | コマンディーニ | シェフチェンコ | ボバン |
1999-2000 | ガンツ* | ウェア* | シェフチェンコ | ボバン |
1998-1999 | ガンツ | ウェア | バ | ボバン |
1997-1998 | ダーヴィッツ* | クライファート | A・アンデション* | サビチェビッチ |
1996-1997 | コスタクルタ | ウェア | レンティーニ* | サビチェビッチ |
1995-1996 | ドナドーニ* | ウェア | ディ・カーニオ | サビチェビッチ |
1994-1995 | 固定背番号制の導入前 |
*シーズン途中の加入、放出
9番 エースストライカーの背番号
フィリッポ・インザーギが9シーズン背負っている背番号9。ユヴェントスから移籍してきたインザーギは、怪我がちではあるが毎年コンスタントな活躍を見せている。36歳で迎えた2009-2010シーズンも、チームを牽引する活躍を見せている。また、リベリアの怪人と呼ばれ、アフリカ系選手で唯一バロンドールを受賞したジョージ・ウェアも、ミラン在籍時代は9番を背負っていた。ミランの9番は正しくエースストライカーの背番号と言えよう。
ファンタジスタの歴史 背番号10
背番号10愛好家として知られるクラレンス・セードルフが背負う10番は、ファンタジスタが背負ってきた背番号だ。“天才ドリブラー” デヤン・サビチェビッチは、「サン・シーロの王様」としてチームに君臨。“クロアチアの英雄” ズボニミール・ボバンは、自らを冷遇した監督にシステムを変えさせる程の活躍を見せた。マヌエル・ルイ・コスタは、ポルトガル・ゴールデンエイジが生み出した世界最高級の司令塔だった。そして抜群の安定感を誇るセードルフ。ファンタジスタの定義はともかく、チームの司令塔を担ったテクニシャン達が10番を背負ってきた。
シェフチェンコからパトへ。受け継がれた背番号の栄光
ウクライナの矢、アンドリー・シェフチェンコは、彼は背番号7を栄光の背番号へと昇華させた。背番号7を背負った7シーズン、チームの絶対的存在として君臨。208試合に出場し、127ゴール。怪我で出遅れた2002-2003シーズンを除く全てのシーズンのセリエAで10ゴール以上を記録。ミラニスタの脳裏に焼き付いていた、マルコ・ファン・バステンの幻影を見事に振り払う事に成功した。ミラニスタに惜しまれながらチェルシーへ去ったシェフチェンコ。偉大なるエースの背番号を引き継いだのは、18歳のアレシャンドレ・パトだった。2008年1月13日、ホームのナポリ戦で、パトはセリエAデビュー。デビュー戦でゴールを挙げる華々しいデビューを飾る。翌2008-2009シーズンは、身体も一回り大きくなるなど大きな成長を見せる。カカに次ぐチーム2位の15ゴールを挙げ、豪華絢爛の攻撃陣の中で欠かせない存在へと成長した。カカが去った今、パトにはクラブと背番号という綴らねばならない2つの歴史がある。
脱却できない負の連鎖
エースストライカーの9番、ゲームメイカーの10番、チームの絶対的存在7番。攻撃的な背番号の中で一際輝きを失っている背番号が11番だ。元ブラジル代表10番、リバウド。アルゼンチン代表のエースFWだったエルナン・クレスポ。イタリア代表FWアルベルト・ジラルディーノ。顔ぶれこそ錚々たるメンバーだが、ミランでインパクトのある活躍を残した選手は殆どいない。ジェノアでブレイクして帰還したマルコ・ボリエッロは、怪我に泣かされてシーズンを終え背番号を変えた。ジラルディーノはゴールは決めても大一番で活躍できず、パルマ時代ほどのインパクトはなかった。クレスポはCLでのゴールが印象的な程度でレンタル終了。リバウドに至っては、バルセロナ時代の迫力は消え失せ、ルイ・コスタ、カカとのポジション争いに敗れてチームを去った。11番を纏って活躍した選手を本気で探すとすれば、元イタリア代表MF、ロベルト・ドナドーニまで遡らねばならない。ミランの11番は負の連鎖を断ち切れずにいると言えよう。
現在、ミランのNo.11を背負っているのはクラース・ヤン・フンテラール。ミランがカカを放出した代わりに獲得したオランダ代表のFWだ。しかし、未だに満足なチャンスを得る事もできずにベンチを温める日々が続いている。「言葉の問題」、「チームへの加入が遅れた」、「ボックスストライカーよりもムービングFWを必要とするチーム事情」など、結果を残せない理由は様々存在するが、その中の一つに背番号11が持つ負の連鎖が影響しているのかもしれない。