本稿で連載も最終回。最後に2010年W杯開催地がアフリカであることにちなんだデータを紹介したいと思う。

ブラック・アフリカンの台頭

近年、欧州のビッグクラブではサミュエル・エトー(インテル)、ディディエ・ドログバ(チェルシー)、エマニュエル・アデバヨール(トーゴ)らを筆頭に、多くのアフリカ系黒人選手が活躍している。また、中小のクラブでも若いアフリカ系黒人選手を抱えるケースが増え、その比率は年々強まっていると言って過言ではない。

現在の状況が作られたのは1990年代以降。ボスマン判決に伴い移籍ルールが改訂されたことにより、外国籍選手に関する裾野が広がった。旧宗主国であるフランスを経由するルートや、外国籍制限のないベルギーを経由するルートなど、アフリカ人が海外移籍、成長するルートが確率された。また、以前はDFばかりだったブラック・アフリカンを、身体能力をより生かすためにFWで起用することになったことなどが挙げられる。アベディ・ペレがマルセイユで活躍し、ジョージ・ウェアが欧米人以外に門戸開放されて初のバロンドールを獲得した時には、アフリカ系黒人のアスリート能力が大きなビッグウェーブとなっていた。

代表チームの歴史を振り返ると、1970年代まではブラック・アフリカンのチームがW杯出場を勝ちとったのはザイールの1度のみ。アフリカを代表してW杯に出場をしていたのはモロッコ、チュニジアといったアラブ人を中心とした北アフリカの強豪であり、彼らですら本大会では全く勝てなかった。

しかし、クラブシーンの歴史と歩調を合わせるが如くブラック・アフリカンの台頭が始まる。1990年W杯では、カメルーンがディエゴ・マラドーナを擁する前回王者のアルゼンチンに勝利。1996年のアトランタ・オリンピックでは、ヌワンコ・カヌらを中心にナイジェリア代表が金メダルを勝ち取った。2006年、2010年の2大会では北アフリカからの出場国はチュニジア、アルジェリアだけに留まるなど、アフリカの勢力図は完全に塗り替えられたと言って過言ではない。カメルーン、コート・ジボワール、ガーナ、ナイジェリアといった黒人のチームは、W杯だけでなく若年層の大会でも強く、今年のワールドユースでは、ガーナがブラジルを下し優勝を飾った。ワールドユースMVPのドミニク・アディアーがミラン移籍を決めるなど、若年層の段階で欧州のビッククラブに移籍するケースがこれからも増えていくだろう。

<アフリカのW杯出場国、民族状況>
年度 出場国 主な民族
1934 エジプト エジプト人
1970 モロッコ アラブ人(67%)
1974 ザイール アフリカ系黒人(75%)
1978 チュニジア アラブ人(98%)
アルジェリア アラブ人(80%)
1982 カメルーン アフリカ系黒人
1986 モロッコ アラブ人(67%)
アルジェリア アラブ人(80%)
1990 エジプト エジプト人
カメルーン アフリカ系黒人
1994 モロッコ アラブ人(67%)
カメルーン アフリカ系黒人
ナイジェリア アフリカ系黒人
1998 チュニジア アラブ人(98%)
モロッコ アラブ人(67%)
南アフリカ アフリカ系黒人(77%)
ナイジェリア アフリカ系黒人
カメルーン アフリカ系黒人
2002 チュニジア アラブ人(98%)
セネガル アフリカ系黒人(99%)
南アフリカ アフリカ系黒人(77%)
ナイジェリア アフリカ系黒人
カメルーン アフリカ系黒人
2006 チュニジア アラブ人(98%)
トーゴ アフリカ系黒人(99%)
アンゴラ アフリカ系黒人(75%)
コートジボワール アフリカ系黒人(97%)
ガーナ アフリカ系黒人(85%)
2010 アルジェリア アラブ人(80%)
コートジボワール アフリカ系黒人(97%)
ガーナ アフリカ系黒人(85%)
ナイジェリア アフリカ系黒人
南アフリカ アフリカ系黒人(77%)
カメルーン アフリカ系黒人

1930年から開催されたW杯も2010年で実に80年もの歴史となる。その歴史は、もはや“人類の歴史”といっても過言ではない領域に達しており、まだまだ紹介しきれないエピソード、データは多い。いつの日かまたそのデータに陽の目をあてたいが、その日がやってくる事を約束して締めくくりたいと思う。

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