2007年7月25日(水) - ミーディン・ナショナル・スタジアム
Japan
2
1-1
1-2
3
Saudi Arabia
中澤
阿部
37'
53'

得点者
35'
47'
57'
Y・アル=カフタニ
マーズ
マーズ

前年に行われたドイツ ワールドカップで惨敗を喫した日本代表が新監督に迎えたのが知将イビチャ・オシム。その新指揮官のもと初めてのビッグトーナメントとなる2007年のアジアカップだったが、いま思えば3連覇という言葉がどこか一人歩きする感もあった。前回、前々回大会も死闘とも言える厳しい道のりを潜り抜けて掴んだ栄光だったはずなのだが。しかし、3連覇という夢は決勝戦にさえ届くことなく道半ばで途絶えた。セミファイナルで日本の前に立ち塞がったのは、予選でも同じスポットに入ったサウジアラビア。予選での対戦成績は一勝一敗の五分で、さらにアジアカップではサウジに負けたことのなかった日本だったが、強烈なフォワード2人を擁する難敵の前に屈することになった。

2007年大会は4カ国の共催で行われ、決勝トーナメント一回戦でオーストラリアとのPK戦を制した日本は移動なくハノイ(ベトナム)での連戦となり、ジャカルタ(インドネシア)からの移動に加え試合感覚の1日短いサウジアラビアに対し、有利な条件で臨めたはずだった。しかし、いざ試合が始まると日本のプレーに冴えがみえない。連戦による疲れは明らかでチグハグなシーンが目に付く。そんななか、先手を取ったのはサウジ。A・アル=カフタニのFKがエリア内でこぼれると、いち早く反応をしたY・アル=カフタニが右足を振り抜きネットを揺らす。若きキャプテンの大会4ゴール目となる得点で先制を許した日本だが、サウジ同様セットプレーのチャンスを活かす。遠藤のCKに中澤が飛び込みすぐさま同点に追いつき、前半を終えた。

振り出しに戻ったゲームを有利に進めたい日本だったが、後半の立ち上がり早々に2点目を奪われる悪い流れ。相手右サイドでスローインからのボールを繋がれると、170cmに満たない身長ながらの脅威の跳躍をみせたマーズにヘディングシュートを叩き込まれる。ここまでの2失点に絡む形となった阿部は守備ではいいところがなかったが、自らそれを帳消しにするゴールを決める。遠藤のCKにフリーになると豪快なオーバーヘッドを突き刺し、サウジに追いすがる。取られたらすぐ取り返すなど粘りをみせた日本だが、3度目はなかった。同点に追い付いてからわずか4分後、ロングスローからワンツーで抜け出したマーズの深い切り返しにDF2人があっさり交わされると、アウトサイドで絶妙なシュートを決められ3失点。その後も、圧倒的な個人技の前にピンチを招き続けた日本は最後まで主導権を握れないままに無念の敗戦を迎えることになった。

同点に追いつき、これからという時に失点を喫したんでは、勢いは削がれ、精神的にもダメージばかりが蓄積される展開だった。常に追う立場だった日本は疲労も相まって苦しみ続けた試合となった。オシムは試合後、選手たちの労をねぎらいサウジには祝福を贈ったが、日本独自・オリジナルのサッカーという看板を掲げ、組織立ったチーム作りを進めるなか、2人のズバ抜けた個人技に依存するようなサウジアラビアの前に屈したことは見る者にとってショッキングな出来事といえた。また、オシムサッカーの標榜する"リスクを冒す"という点からみても、この試合日本は縦パス自体が少なく、サウジの見せた思い切りのある攻撃の前にかすむばかりだった。

ベトナム戦で見せた鮮やかな逆転劇、ワールドカップの雪辱を晴らしたオーストラリア戦など日本の良さが発揮された試合はあった。だが、韓国にも敗れ4位に終わったことで、コンフェデレーションズカップへの出場権、さらに2011年アジアカップの予選免除をも逃し、それに伴うマッチメイク等々、後々まで影響を残す結果となったのも事実だ。オシムはこの年の11月に病に倒れ、道半ばで代表監督の座を降りることになるが、サラエボ出身の老将と日本代表、サポーターは完全にシンクロすることのないまま突然の終焉を迎えた。

(筆:Qoly編集部 I)



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