アジアカップ 過去のMVP Vol.1 中村俊輔 (日本/アジアカップ2004)

中村俊輔を語るにあたりアジアカップ2004は欠かせない大会のひとつだ。決勝戦で中国を撃破し日本の優勝で幕を閉じたこの大会で印象的だったプレーヤーは、玉田や中澤、川口などが挙げられるだろうが、やはりその中でもチームの中心として輝いたのは司令塔の中村俊輔だろう。当時のジーコJAPANと言えば、中田英寿、小野伸二、稲本潤一、そして中村俊輔の中盤4人で形成される「黄金のカルテット」が売りだったが、その中で中国大会に参加したのは中村のみ。国内組中心のチーム構成で臨む日本にとって、中村の存在はプレー面、精神面どちらの側面においても非常に重要なものであった。

中村はグループリーグ緒戦からその実力を遺憾なく発揮する。オマーンを相手に決めた左足アウトサイドでのゴールは、試合の決勝点であると共に、この大会における日本の快進撃の号砲となった。続く第2戦では、タイを相手に得意のフリーキックが炸裂。ビハインドの状況に置かれたチームに同点ゴールをもたらした。第3戦のイラン戦は唯一、ゴールに直結するようなプレーは見られず試合もスコアレスドローに終わったが、準々決勝のヨルダン戦では、正確なフリーキックで鈴木のゴールの基点となるなど随所に存在感を見せた。また、これはポジティブな結果では無いが、PK戦へ突入したこの試合で中村はその1番手として登場し失敗してしまう。本来であれば思い出したくもないようなシーンだが、その後に起こる劇的なドラマのプロローグとしては極上のワンシーンだったのではないか。

その後迎えた準決勝のバーレーン戦ではコーナーキックから中田浩二のゴールをお膳立てし勝利に貢献。中国との決勝戦でも中村の左足は冴え渡る。福西の先制ゴールの基点となると、中田、玉田への連続アシストを決め、最高の舞台で最高のパフォーマンスを披露しチームをアジア連覇へと導いた。こうしてアジアカップ2004で全6試合にスタメンフル出場した中村は、2ゴール3アシストの記録を残しMVPに選ばれた。鬼の居ぬ間にではないが、中田英寿を筆頭とする他の海外組不在時の活躍により、優勝トロフィーだけでなく指揮官ジーコのハートをもガッチリと掴んだ中村だった。

(筆:Qoly編集部 Y)




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