霧のように冷たく、薄い雨がいつものように世界を覆っていた。多くの小説で読むように、イギリスという国は雨を抜きには語れない。僕は今スコットランド最大の都市グラスゴーで所謂大学院生の端くれ(ある意味では延長モラトリアム期間…なのかもしれないが)として様々なことを学んでいる。勿論フットボールはここでは生活の大きな割合を占める「日常」の風景であり、パブに出かければ当然のように多くのフットボールファンと出会うことが出来る。娯楽も少なく、フットボールの勝敗や得点者にベットするための店や、試合を見ることが出来るように大型のテレビが設置されたパブが立ち並ぶ街の中央通りからフットボールを取り去ることは不可能に近い。

こちらに来てから中村俊輔選手の古巣としても知られるセルティックのファンが僕に語ってくれたことがある。

「グラスゴーには2チームしかない。グラスゴーで一番いいチームはセルティック、そして次がパーティックだ」

もちろんこれは皮肉である。現在破産によって1部にいない最大のライバルにして嫌悪の対象であるグラスゴー・レンジャーズの不在を皮肉っているのだ。セルティック・パーク ( Celtic Park )のスタジアムツアーでも、案内してくれたクラブで働く初老の女性は何度も「レンジャーズが持っていないトロフィー」について声高々に語ってくれた。それに比べれば、10年近く下部で苦しみながら、2012-13シーズンに昇格してきたPartick(パーティック) F.C.のことを彼らは嫌っている訳ではない。むしろどちらかといえば、隣人という感覚でセルティックファンはスタジアムにやってくるのだろう。馬に乗った婦警さんが道路脇で交通整理をしているという、ある意味で欧州らしい空気の中で続々と集まりつつあるセルティックファンは温かい歓迎と隣人への敬意を忘れていないように見えた。少し余談となるが、差別への反対運動などを積極的に行なっていることから、セルティックとクラブ同士が友好関係にあることでも知られるドイツのザンクト・パウリのサポーターが、ドイツからわざわざ試合を見に来ており、少しではあるが話をすることが出来たことも付け加えておこう。

とはいえ、ダービーはダービーである。セルティックファンが余裕を持っていたとしても、Partick側からすればそんなものは関係ない。ファンの数で多少劣ったとしても、精一杯声を張り上げて格上を倒すジャイアント・キリング を誰もが願っている。まるで御伽噺の世界から抜け出してきたような煉瓦作りの入り口から1人1人が入って行く可愛らしくも小さなスタジアムでありながら、90%近くが埋まるというスタジアムの空気は想像を絶するものだった。離れていても響き渡る彼らの声、そしてチャントの応酬は恐らく他のダービーに決して劣ることはないはずだ。

想像することも出来ないほどの財政規模の差があるはずだ。欧州各地だけにとどまらず、アフリカや北中米からも集められた精鋭を揃えたセルティックと、2人以外はイングランドとスコットランドという地元から集められた「おらが街」のチームであるPartick。スターティングメンバーの身長差を見ても、大人と子どものような差である。ナイジェリアから代表にも選出される190cmのエフェ・アンブローズと、オランダのユース代表で経験を積んだ191cmのフィルヒル・ファン・ダイクが組む中央の鉄壁を、小さなPartickの攻撃陣が攻略出来るとは信じがたかった。しかし、だがそれでもやはりフットボールは面白い。

ロングボールの応酬と激しい肉弾戦―筆者が想像していたスコティッシュフットボールを志向するのはむしろ格上のセルティック。それに対して、小兵揃いのPartickはまさかの繋ぐフットボールで対抗していったのだ。細かいパスによってサイドで数的有利を作りながら振り回し、サイドチェンジや裏へのボールで一気にサイドを攻略する。細かい技術で負けていても、人海戦術によって相手を何度も何度も翻弄する。心を折られるようなセルティックの魂スコット・ブラウンによる中盤での激しいタックルにも怯まず、堂々たる欧州での経歴を持つギリシャ代表ヨルギオス・サマラスとフィンランド代表テーム・プッキの2トップにもしっかり身体を当てて仕事をさせない。そして競り合う度に、果敢に仕掛けていく度に地鳴りのような歓声が狭いスタジアムに響く。まるで彼らを後押しするように、何度でも何度でも。雨が強く降り注ぐ中、滑るピッチを上手く利用するように局所ではスライディングを仕掛けながら。前からのプレッシングも絶妙で、サボらずに前線からかけていくプレッシャーによって何度もセルティックは危険な場面を作られた。

それでもやはり格の違いを見せたのはセルティック。シンプルなコーナーキックに観客が沸き立つのは、高さで勝るセルティックにとって大きなチャンスだと誰もが知っているからだ。「サマラスはどこだ!」とゴール裏から凄まじいチャントが鳴り響く中、ギリシャ代表FWが容赦なくヘディングを突き刺して先制。埋められない高さという差を見せつけられ、彼らの心は折れるかにも思えた。それでも彼らは諦めない。多くのピンチを作られながらも水際で耐え、GKがギリギリで枠外に弾き出す。足元がそこまで上手くないエフェ・アンブローズへの執拗なプレスからチャンスを作り、コーナーのこぼれ球を華麗に繋ぎながら押し込んで同点。ヒラヒラと虚空を舞う蝶を思い出させるような華麗なパスワークで、平面でセルティックを攻略する。その後も流れを掴んだように徹底してエフェ・アンブローズにドリブルで仕掛けてチャンスを作る。しかし、セルティックの指揮官ニール・レノンが全ての流れを変えた。193cmのポルトガル(ギニア・ビサウ)人プレイヤー、アミド・バルデを投入し、ヨルギオス・サマラスをサイドに流すことで作り上げたパワー重視の布陣が奏功。投入しアミド・バルデがパワフルな突破で抜け出しながらゴールを奪う。交代枠を使い切った直後にヨルギオス・サマラスが負傷したため、10人となった王者に最後まで必死に食らいついたPartickだったが、それでも1点は余りに重かった。

 

 

降り続いていた雨が止み、細い光が差し込む中、セルティックファンの安堵とPartickファンの悔しさ、そして暖かな満足感が狭いスタジアムに独特の空気を作り出していた。フットボールの根本的な何かを、思い出させてもらったような気がした1日だった。


筆者名:結城 康平

プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
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