南米大陸の最北に位置し、アメリカに近いという地理的な影響から野球大国として知られるベネズエラ。

日本のプロ野球とも縁が深く、ロベルト・ペタジーニやアレックス・カブレラ、アレックス・ラミレスらホームラン王を輩出し、あの野茂英雄が一時期同国のリーグでプレーしていたことでも知られている。

一方でサッカーは長く"南米のお荷物"的存在であった。同じく“お荷物"的存在だったエクアドルが高地のアドバンテージを背景に2002年W杯日韓大会へ初出場。近年『最弱』扱いを受けているボリビアでさえ1994年W杯に出場した経験があり、南米で唯一ワールドカップに出場したことのない国となっている。

しかし、である。

この10年でベネズエラサッカー界は飛躍な進化を遂げた。かつて予選では最下位が定位置で1998年W杯予選にいたっては16試合未勝利(勝ち点3)という悲惨な成績であったが、続く2002年W杯予選の終盤に4連勝を飾るとチリを上回り最下位を脱出。以降3大会、惜しくも突破はならなかったものの善戦を続け、悲願のW杯出場にあと一歩のところまで迫っている。

また、サッカーの国際的な影響力に注目した前大統領の故ウーゴ・チャベス氏の尽力により2007年には自国初となるコパ・アメリカ開催を実現させると、初めてグループリーグを突破。2011年大会では最高成績となるベスト4を達成するなどサッカー熱は年々高まっており、ユース年代でも結果を残していることからW杯初出場は時間の問題だと言えよう。

この劇的な飛躍の要因はこれまで辛酸を舐め続けた代表OBとサッカー界の懸命な努力の賜物であることは間違いないが、何よりフアン・アランゴの存在が大きい。スペイン・マジョルカ時代の大久保嘉人(現川崎フロンターレ)のチームメイトで、ドイツ・ブンデスリーガではその“悪魔の左足"で何度もゴールネットを揺らしたアランゴ。代表でも同国最多キャップ・最多ゴールを記録しているが、代表デビューが1999年で彼の活躍がそのまま同国の飛躍にリンクしてきたのである。