1996年アトランタ五輪で銀メダルを獲得し、1998,2002年と2度W杯に出場した元アルゼンチン代表のMFマティアス・アルメイダ。

長髪を靡かせ涼しい顔で相手をガッツリ削るアルゼンチンの典型的な5番(DMF)で、その圧倒的な運動量から「7つの肺を持つ男」の異名を誇り、一時期は世界最高のボランチの1人に数えられる選手であった。ウイイレでは長らく最高値のスタミナ99が付けられていたことで覚えておられる方も多いだろう。

ラツィオで黄金時代を築く

アルゼンチンの名門リーベル・プレートで育ち、1996年にスペイン・セビージャに引き抜かれ欧州移籍を果たしたが、彼のハイライトは1997年からプレーしたイタリアのラツィオ時代だ。

1998-99シーズンにセリエAの最優秀選手に輝き、翌シーズンにはクラブ2度目となるスクデットをもたらすなど、ラツイオで5つのタイトルを獲得。その後もパルマ、インテル、ブレッシアに在籍し、イタリアのファンであれば決して忘れることのできない選手であった。

早期引退も復帰を繰り返した晩年

一方、代表には2度W杯に出場しているものの35capと意外にも少ない。ディエゴ・シメオネ、フアン・セバスティアン・ベロンら同世代のライバルが強力だったとはいえ、最盛期の時期はやや短かった選手と言えるだろう。2005年に30歳にして「農場の経営に専念する」として現役引退を発表している。

しかし、その後は引退と復帰を繰り返すこととなる。

2007年にノルウェーで現役復帰すると、一年で再び引退したが、2009年2月に国内下部のフェリクスに加入を発表して再び現役復帰。その半年の契約の終了後には再度引退を宣言したが撤回し、同年8月に古巣であるリーベル・プレートへ13年ぶりの復帰を宣言、現役を続行した。

リーベル復帰後は全盛期さながらのパフォーマンスを披露し称賛を浴びたが、チームは2010-11シーズンにクラブの歴史上初めて2部へ降格。アルメイダは今度こそピッチに別れを告げ、そのままリーベルで指揮を執ることになった。

今後は指導者として

アルメイダは1シーズンでリーベルを昇格に導いたものの、1部では成績不振により半年で解任。しかしその後、監督に就任した2部のバンフィエルドを昇格させ、今シーズン再び1部で指揮を執っている。

彼は引退後に出版された自伝で、「賄賂、ドーピング、そして八百長...イタリアサッカーは芯から腐っている」と痛烈に批判しているが、やはりラツィオへの愛情は深いようで、最近になって「ラツィオを指揮してセリエAで優勝したい」と発言している。

リーベルと代表でのチームメイト、マルセロ・ガジャルドが最近リーベルでコパ・スダメリカーナを制し、同ポジションの最大のライバルだったディエゴ・シメオネがスペインのアトレティコ・マドリーで名声を得ているのに対し、指導者としてやや出遅れた感はあるだろう。しかし、ガジャルドもシメオネも成功と失敗を繰り返しながら現在の地位に上り詰めてきたのだ。

アルメイダは今日で41歳。これからの彼の飛躍に期待しよう。

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