カタールでデビューした遅咲きのDF

コルテース(Bruno Cortês Barbosa)*はリオデジャネイロ生まれの現在27歳。国内ではブルーノ・コルテース(コルテス)の登録名で知られている。

パラ州の強豪パイサンドゥーの下部組織出身だがプロデビューは何と中東カタールで、20代前半まで全く無名の存在。以降も国内の無名なクラブを転々としていた彼が一躍ブレイクしたのは2011年、24歳の時だ。

この年、コルテースはノヴァ・イグアスという、リオデジャネイロ州選手権に参加する小さなクラブでプレーしていた。そこで同州の名門ボタフォゴのスカウトの目に止まり移籍することとなるが、ここまではブラジルで毎年見られる光景である。

しかしコルテースはボタフォゴへ加入するや否や、初の全国選手権1部でのプレーとは思えないほど伸び伸びと、自身の持てる力を発揮する。

一躍全国区の選手にのし上がると、数か月が経過したコパ・アメリカ後の9月、当時のマノ・メネゼス監督によりブラジル代表へ初招集。国内組の限定ではあったが、アルゼンチン代表との“スーペルクラシコ"でセレソンデビューを果たしたのだった。

ボタフォゴ移籍から僅か数か月のスピード出世であった。

*ユニネームだと"Cortez"になる

一時はロベカルの後継者候補に

コルテースはこの年、ロンドン五輪代表候補でA代表経験を持つウェリントン・ネン(現シャフタール)と新人王を争い、残念ながら受賞を逃したがベストイレブンに選出。すると早速ブラジル一のビッグクラブ、サンパウロへ引き抜かれる。

地方クラブで活躍しビッグクラブへステップアップする選手のなかにはクラブの名前に縮こまってしまう選手が多い。しかしコルテースはここでもいきなり州選手権の最優秀左サイドバックに選出されると、同年の全国選手権では不動のレギュラーとして35試合にプレーした。

セレソンにはアルゼンチン代表との試合に出場して以降、呼ばれていなかったがロベカルことブラジル史上最高とも言われるロベルト・カルロスの代表引退後、なかなか固定できないでいたセレソンの左サイドバックの候補として、国内組では上位の位置にまで上り詰めたのである。

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