ジャンフランコ・ゾラ
「(「私の代わりは要らない。ゾラがいるから」とマラドーナは言ったが、君はパルマに売られた)
自分が経験したときのパルマを思い起こせば、クラブがこのような状況になっていることが現実とは感じられない。
イタリアにおいても類を見ない素晴らしいクラブだった。誰もが楽しめるサッカーを通して、小さなクラブにヨーロッパへの憧れを抱かせた。パルマに値する場所に戻すことが出来る、正しい人々の到着を期待している。
パルマの最初の2年では、私はキャリアで最も素晴らしいサッカーをした。非常にうまくプレーしているチームだった。
(その次はチェルシーへ)
まず最初に、サッカー選手としての評価を確立しなければいけなかった。あの頃のイングランドは非常にフィジカル的なサッカーだったし、正しいアプローチで臨むこと、経験を生かす態度を示すことが重要だった。ピッチを離れても自分の質が評価されているという事実は、非常に誇り高いものだ。
私はイタリアサッカーで得た大きな経験を持ってイングランドを訪れることができ、その結果前年度に学んだ全てを形にすることが出来た。新しいサッカー、異文化の中での冒険において、選手としてだけではなく人としても、より幅広く、多くの人々と交流する機会を得た。全ては、チェルシーとの物語が素晴らしいものだったということを意味しているよ。
(現役最後にカリアリに復帰した)
朱と青のシャツを着たことは、私の最も幸せな経験の一つだ。それは私を強くしてくれた。カリアリで自分のキャリアを終える。それを必要としていた。
自分の体調に関連した懐疑論はあった。しかし、私は非常に良くやったと思う。多くの困難の中でカリアリをセリエAに昇格させたことを、とても良く楽しんだ。
(代表では94年W杯で退場した)
自分の人生で最も残念なものの一つだ。ファウルですらなかったと思う。レッドカードは大きな間違いだ。しかし、キャリアの中ではそのようなことも起こるものだ。
これは自分にとって非常に重要な大会で、ワールドカップでのデビューだったし、ベスト8の試合だった。残念なことにそれは起こってしまった」
49歳になったゾラ、キャリアを振り返る
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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