チェルシーのGK、マルコ・アメーリアがミラン時代のことを振り返っている。
先日、守護神であるベルギー代表GKのティボー・クルトワが負傷したチェルシー。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表GKのアスミル・ベゴヴィッチがゴールマウスを守っているが、バックアップとしてアメーリアと契約している。
アメーリアは2013-14シーズン終了後にミランを退団。下部リーグでプレーしていたが、今年の8月31日に所属していたルパ・カステッリ・ロマーニとの契約を解除しており、フリーの状況にあった。
アメーリアは第3GKとはいえ、2006年のワールドカップ王者の一員であった選手。ミランではクリスティアン・アッビアーティの壁を超えられなかったが、リヴォルノ時代は将来を大きく嘱望された”ジャンルイージ・ブッフォンの後継者候補”であった。
今回、チェルシーへの加入で再び表舞台に帰ってきたアメーリア。ミラン時代を振り返ると共に、当時の指揮官であるマッシミリアーノ・アッレグリ(現ユヴェントス指揮官)との確執を『Livero』に対して明かしている。
マルコ・アメーリア
(チェルシー所属)
「ミランに来たのは2010年だった。2014年までいたよ。アドリアーノ・ガッリアーニが自分とサインしたんだ。最初から物事は全く自分にとって正しい方へと進まなかったよ。クリスティアン(・アッビアーティ)が負傷した時にプレーを望み、その間は先発だった。しかし、アッレグリは自分を理由もなく外した」
アッレグリがミランに来たのはアメーリアと同じく2010年の夏。カリアリとの契約を解除し、ミランの新監督に就任している。アメーリアのことは評価していなかったようであり、”目を合わせない”関係だったようだ。
マルコ・アメーリア
(チェルシー所属)
「彼との間には全く会話が無かったよ。売却されることを望んだんだが、ガッリアーニが残ることを望んだんだ。そして2014年の1月、退団することを決めたが、(クラレンス・)セードルフが電話してきて言ったんだよ『自分が新しいミランの監督だ。残れ』ってね」
「再考することはなかったよ。自分にとってのクラレンスは師匠さ。史上最高の一人なんだ」
2014年の1月にアッレグリを更迭し、セードルフを指揮官としたミラン。しかし、成果が出ず、セードルフも更迭されてしまった。シーズンを終え、フリーエージェントとなったアメーリアはアマチュアクラブであったロッカ・プリオーラに加入。選手兼名誉会長としてであった。
半年後、アメーリアはプロフェッショナルサッカーの世界に戻る。当時3部(現セリエB)のペルージャが彼を獲得したのだ。しかし、半年間で試合に出場したのはわずか1試合。今夏、3部のルパ・カステッリ・ロマーニと選手兼名誉会長として契約したが、わずか2試合に出場したのみで契約を解除している。
将来を嘱望されながら、選手として最も成長が期待された時期をベンチで過ごしたアメーリア。GKというポジションが1つしかない事を再認識させられるキャリアと言えるだろう。