「トータルフットボール」を掲げたオランダ代表の中心的選手として活躍したヨハン・ニースケンス。

ヨハン・クライフとともに一時代を築き、「もう1人のヨハン」という愛称でもお馴染みだ。

そんなニースケンスは1970年から1974年にかけてアヤックスに在籍し、UEFAチャンピオンズカップの3連覇にも大きく貢献。その後、マリヌス・リヌス・ミケルスが率いていたバルセロナへと移籍し数シーズンを過ごすことになる。

そんなニースケンスに関する衝撃的な事実を、当時バルセロナの会長を務めていたホセ・ルイス・ムニョス氏が自叙伝の中で明かしている。

英国『Mirror』によれば、ニースケンスは1979年にバルセロナを退団するのだが、その理由は会長を怒らせたからであるそうだ。

では、ホセ・ルイス・ムニョス氏が何に腹を立てていたのだろうか?

当時バルセロナはアリカンテに遠征しており、エルクレスのホームスタジアムに乗り込んでいた。ホセ・ルイス・ムニョス氏はスタジアムにあるトイレで用を足していたのだが、どうやらトイレットペーパーがないことに気付いたようだ。

そこで同氏は近くにいたニースケンスにトイレットペーパーを渡すようお願いしたのだが、ニースケンスはこれに応えなかったという。

このニースケンスの対応にホセ・ルイス・ムニョス氏は納得がいかず、ニースケンスの放出を決定したのだそう。実際にニースケンスはこのシーズン限りでニューヨーク・コスモスへと移籍している。

なんともヘンテコな理由であるが…ホセ・ルイス・ムニョス氏としてはよほどピンチな状況であったに違いない。

なお、ニースケンスはフランク・ライカールト政権時の2006年にコーチとしてバルセロナに復帰している。

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