サッカー界の歴史上でも最も大きな悲劇の一つとなったシャペコエンセの飛行機事故。

死亡した71名のなかにヴィッセル神戸を率いたカイオ・ジュニオール監督、2013年のJ2得点王ケンペス(元C大阪、千葉)、クレーベル・サンタナ(元柏)、アルトゥール・マイア(元川崎)、チエゴ(元京都)が含まれていたことも明らかとなり、日本でも悲しみが広がっている。

また、元ブラジル代表の肩書を持つマリオ・セルジオ氏も今回犠牲になった一人である。

1969~1987年まで18年間に渡って現役でプレーし、フラメンゴ、サンパウロなど13のクラブを渡り歩いたマリオ・セルジオ氏。類まれな技術と創造性に富んだプレースタイルから“天才”などと称され、ブラジル代表として8試合に出場した経験もある。

彼は日本との所縁も深く、フラメンゴ時代の1970年には「朝日国際サッカー大会」で三菱、日本B代表、ヤンマーと対戦。1983年には南米王者・グレミオの一員としてトヨタカップに出場し、ハンブルガーSVを下して世界一に輝いた。

その翌年にはインテルナシオナウの選手として、キリンカップを制している。

世界トップレベルのテクニックは、プロ化する以前の日本のファンを大いに沸かせた

現役引退後は指導者に転身し、コリンチャンス、サンパウロ、ボタフォゴなど名門クラブの監督を歴任。2010年を最後に現場からは離れており、今回、コパ・スダメリカーナ決勝のテレビ解説を務めるためにチャーター機へ乗り込んでいたが、悲劇的な事故に遭遇し66歳で帰らぬ人となった。

ブラジルのレジェンドで同年代に活躍したジーコ氏は「私はかつてこれほど多くの友人を一度に失ったことはなかった」と沈痛な想いを表明し、「マリオ・セルジオは私がフラメンゴでデビューした時のチームメイトで、代表でも一緒にプレーしたんだ」と旧友の死を悼んだ。