2002年の日韓ワールドカップで5度目の優勝を果たしたブラジル代表。
セレソン史上最多となる142試合の出場記録を持つカフーもメンバーのひとりだった。
彼はローマやミランで大活躍した鉄人。今年で49歳になったが、先日のレジェンドマッチではこんなさすがのクロスを見せていた。
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— 433 (@official433) 2019年11月1日
カフー、リヴァウド、ロナウジーニョとつないで奪ったゴールは何とも豪華だ。
『Record』によれば、そのカフーは今年9月に息子であるダニーロさん(30歳)を亡くしたという。
親子と友人たちでサッカーを興じている際にダニーロさんは昏倒。カフーが自ら病院へ搬送したものの、彼は息を引き取った。
『Veja』という雑誌で息子の死去後初となるインタビューに応じたカフー。幾度も涙を流しながら、こう話したそう。
カフー(元ブラジル代表DF)
「ダニーロは私と同じチームだった。彼はハーフタイムに交代し、私はプレーを続けた。
3分ほど経った時、ピッチ外での騒ぎに気付いたんだ。
好奇心から見に行ってみると、息子が痙攣を起こしていた。
彼にはデリケートな心臓病歴があったので、私はパニックになってしまった。
救急車を呼ぶと、10分ほどかかると言われた。だが、息子は待てないと私には分かった。
その場にいる子供たちを別の場所に連れて行ってくれと頼んだ。そうすれば、子供たちが息子に起きていることを見ないで済む。
私は彼を抱えて車に乗せ、5分で病院に着いた。到着した時にはさらに悪化していた。
医師たちは様々な方法で蘇生しようとしてくれた。
30分後に医師から呼ばれたが、私は『ドクター、何も言う必要はありません。息子の応答がないのは分かります』と伝えた。
あの子を連れて行かないでくれと私は神に祈り願った。だが、それは不可能だった」
「子供を埋葬することは、人生を通じて感じるどんなものとも全く違うものだ。
5日ごとに墓地に行き、彼の墓を訪れている。起きたことを受け入れられていない。
まだ彼の部屋に入る勇気がなく、息子のウェリントンが彼の物を集めて寄付してくれた。
発作を起こした場所には、あれから一切足を踏み入れていない。
息子はもう戻って来ないと知りながら、彼の棺に土を投げる(土葬する)気持ちをどう言い表せばいいのか分からない。
子供の死は、父親と母親の一生にもついて回る。
私は交通渋滞になると泣いてしまう。ただ泣くために友人に電話をかける。
彼らも分かっていて黙っていてくれる。私は泣いて泣いて泣く。
泣くと胸が落ち着くんだ…」
ダニーロさんは通常なら高齢になって問題になる冠動脈の閉塞を24歳で発症。
冠動脈硬化症を患っており、亡くなる日の2日後に心臓のカテーテル手術を受ける予定だったそう。それを受けていれば、命は救われた可能性があったとも…。
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