6月6日に日本代表との親善試合を戦うブラジル代表。そのセレソンで歴代最多キャップ数を持つのが、カフーだ。
彼は超人的なタフネスを誇る右サイドバックとしてローマやミランで活躍したレジェンドである。
『ESPN』によれば、カフーはデニウソンとのポッドキャスト配信でこんな話をしていたそう。
カフー
「アレシャンドレ・パトがミランに来た時、左にはカハ・カラーゼ、中央にはパオロ・マルディーニ、右には自分がいた。アレッサンドロ・ネスタもね。
(練習では全員がパトに対して激しいプレーをしたが)カラーゼには『やりすぎだ。彼を怪我させる。もし、やったら、俺が出ていくぞ』と注意したよ。
そして、パトには『カラーゼに立ち向かえ。もし彼が殴ったら、俺がやってやる。恐れずプレーしろ。彼は俺に任せろ』と伝えた。
その後、誰も練習でパトとの1vs1をやりたがらなくなった。よく言ってたよ、『彼は手に負えない』ってね。
パトの加入から2か月が経った時、(ミランの同僚だった)セルジーニョに言ったんだ。俺たちの目の前にはブラジル史上最高のストライカーのひとりがいる。それはアレシャンドレ・パトだとね。
右にも左にも行けて、両足でシュートが打てて、フリーキックも蹴れて、ヘディングでゴールも決める。ターンも鋭く、どうやって捕まえればいいいのか分からなかった。
ミランを退団した後、あの子について聞いてみたんだ。『怪我だ。深刻ではなく小さな問題』だと言われた。
また連絡したら、『怪我』だと。1試合プレーしたら、2試合離脱する。
セルジーニョに聞いたら、『彼はプレーができない、連続性がない』と。3試合続けてプレーすることができなかった。
彼らは問題を見つけられなかった。
彼はサンパウロとコリンチャンスでも連続性がなかった。それは筋肉だった。彼は強くなったし、力強くなった。練習後にジムに行っていたよ。
パトにはセンタフォワードとして久しく見たことがないほどのポテンシャルがあった。
私はロナウド、ロマーリオ、ベベット、カレカ、エジムンド、シェフチェンコ、インザーギ、バティストゥータとプレーしたけれどね」
2006年に日本で行われたクラブW杯で彗星の如く現れたパト。10代でミランに引き抜かれるなど大きな期待を寄せられていたが、度重なる怪我に苦しめられた。
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カフーは「パトはロナウドよりも強かったし、爆発力があった。ただ、怪我の後、2度とプレーできなかった。アドリアーノも同じだ。すごいポテンシャルがあった。マークするのが大変だった。遅くて重いように見えるが、そうではない。誰も捕まえられなかったよ。だが、アドリアーノは早く終わってしまったし、あまりに怪我が多かったパトもそれに続くことになった。残念だ。ブラジルに必要なCFが見つかったと本当に思っていたからね」とも話していたそう。