かつて世界最高峰のリーグだったセリエAの舞台でも活躍した元日本代表MF中田英寿さん。
ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)時代にともにプレーした都並敏史さんが当時の秘話を明かした。
鈴木啓太さんのYouTubeチャンネルに登場した都並さんは、当時のヒデについてこう語っている。
「僕の第一印象は、ラモス(瑠偉)と同じやつだなと思いました。パスもそうだし、意識。
別に長い自主トレをするわけじゃないけど、これをやるってなったらぐっ!とやるし。自分の役割をこれって思ったら、それを完璧にできるし。すごいやつだなと思いましたね。
ジョホールバルに出た後、ワールドカップ出場を決めた後ですよ。天皇杯があったんですよ。
ジャトコっていう10-0くらいで勝つチームとやった時(実際は7-0)、みんな緩むじゃないですか、ヒデだけはずーとタックルしまくって、最後まで全部頑張れるんですよ。
自分のため、イタリアに行きたいから。そうやってやっていたのを目の前で見て、こいつすごいな、生意気なだけじゃねぇなと思って、尊敬してましたね。こいつプロだなって。意識がカズとかラモスと同じところにいるんだなって。
そのかわり、あの時は尖がってたから、200人くらいファンの人いるけど、練習もしないでバッーって突っ切って無視してサインもしないで帰っちゃうんですよ。
お前、ファンに支えられているんだからサインぐらいせえって言っても、いや、俺はいまは自分のやることがあるので必要なんですよって(必要ない?)。
(そういう)振りを見せながら、朝練にひとりで来て、必要な筋トレだけやって帰っていくんですよ。誰も知らない時間に来て。本当にプロ」
当時のヒデはまだ若くて尖っていたものの、プロ意識は段違いだったとか。
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なお、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれることになる日本とイランとの1998年W杯アジア最終予選が行われたのは、1997年11月16日。ジャトコとの天皇杯3回戦が行われたのは、12月14日のようだ。