オランダサッカー協会は、ヨハン・ニースケンス氏が73歳で急死したと訃報を伝えた。
同協会のワールドコーチプログラムのためにアルジェリアに滞在していたが、突然体調を崩すとそのまま息を引き取ったという。
アヤックスやバルセロナなどでプレーしたニースケンス氏は、オランダ代表としても活躍。出場した1974年と1978年のW杯は、いずれも準優勝だった。
同協会は「ニースケンスの死により、オランダと国際サッカー界はレジェンドを失った。彼の名前は、アヤックスやバルセロナなどのクラブでの成功、そしてオランダ代表の2度のW杯決勝戦と永遠に結びつくものだ。オランダ代表では49試合に出場、特徴的なタックル、卓越した洞察力、象徴的なPKにより、我が国でプレーした最も有名で愛される選手のひとりとして永遠に刻まれるだろう」とその死を悼んでいる。
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ちなみに、ニースケンス氏と同じくオランダの伝説であるヨハン・クライフ氏(2016年に68歳で死去)は、ともにオランダの名門アヤックスで育成されたが、2人とも野球もプレーしていた。
『Baseball in Europe』という書籍が英紙『Guardian』からの情報としてこう伝えている。
「ニースケンスは野球のオランダユース代表の一員だった。1960年代にローマで行われた欧州ユース野球大会では『最高の打者』に選ばれた」
ニースケンス氏は、野球選手のほうがより成功したかもしれないとも言われるほどの才能があったとか。