常に挑戦を続ける姿勢なのか年齢を感じさせるない。「無謀だと思われるかもしれませんが、私の練習を見ている人はわかってくれる」と本人は言う。
3度のブランクを乗り越えて復活を果たしてきた山本美憂は今、何を求めてトレーニングを続けているのか。
3度のブランクを乗り越えて、レスリングのマットへ戻り続けた理由
――美憂さんは幼少時からレスリングの英才教育を受け、史上最年少の17歳で世界選手権を制し、1994年、95年には連覇を果たしました。レスリング時代は“天才”として話題を集めましたが、その後、ボクシングにたどりつくまでは波乱万丈でしたね。
山本: 私の場合、ブランクが 3回ぐらいあるんですよ。7年と 3年と 3年。 その間は本当に何にもやらなくて、結局、戻ってきてっていうのを繰り返しています。そういうこともあって、試合がなくてもトレーニングを続けてきました。
――1995年に一度目の引退・出産を経て、1998年に現役復帰し、世界選手権で銀メダルを獲得しました。再びのブランクのあと、2011年にロンドンオリンピックを目指し、3度目の現役復帰。2015年にカナダ国籍を取得し、カナダ代表としてリオデジャネイロオリンピック出場を目指しました(手続きの関係等で断念)。3度のブランクをどのように克服したんですか。
山本: 妹(聖子)の練習相手をしなければいけないというのが復帰の理由でした。どうやって元に戻すかというよりも、「やらなきゃ」と必死でした。

MMA転向で直面した壁と、思い通りにならない格闘人生
――これまでの格闘技生活を振り返って、壁に直面したことはありますか。
山本: 「これを乗り越えなきゃ」と思ったのはMMAに転向した時ですね。ブランクもあったし、レスリングとは違う競技なので大変なことがありました。私が転向した時には技術がどんどん進化していって、チームとして戦略をしっかり立てないと勝てない状況でした。
――――「RIZIN」のリングでは14試合戦って、6勝8敗という戦績でした。
山本: RENA戦は負けたけど、自分では思うように動けて、楽しかった。でも、レコードとしてはむちゃくちゃ悪いですよね。「なんで、あんなことをやっちゃったんだ……」「どうしてそこで…」という負け方が多かった。練習通り、作戦通りやれば勝てた試合もあったのに。それができないのが、自分の実力。MMAの時はそういう試合が多くて。振り返ってみると、自分のプランとは全然違うことをやってきましたね。カナダに住んだり、沖縄で暮らすようになったり。それまで考えていないことを翌週にはしているようなことが多かった(笑)。自分のプランは当てにならないと私が一番わかっています。いまでも、そういうところは直りませんね。
――これから何が起こるか、どんな道を進むのか、自分でも想像できなかった?
山本: それは、わかりませんでしたね。私に付き合わされる子供たちは大変だったと思います。気がついたら、違う国にいて……。毎年のように引っ越しをしていましたから。子供たちは今もものすごくサポートしてくれています。

長女も強力なサポーター
「やりたい」と思ったことは絶対にやる!振り返ったときに後悔したくない
――10代のレスリング時代は47キロ級、「RIZIN」でもスーパーアトム級(49キロ)で戦ってきました。今回のボクシングデビュー戦は51キロ契約です。
山本: 大学生の頃は体重のコントロールが難しかったんですけど、自分なりのやり方があるので大変ではありませんでした。今でも体重管理はあまり苦労しませんね。
――レスリング、MMA時代からのファンは、これからどんな試合をするんだろうと思っているでしょうね。
山本: MMAでは立ったまま殴り合うみたいな試合をしてこなかったので、昔から見てくれている人もどんな試合になるか想像できないと思います。私、接近戦も苦手じゃないんですよ。フィジカルがあるほうですし(笑)。
――今回は2分6ラウンドで行われますね。
山本: 1ラウンド=2分の試合と3分の試合があるようです。2分だと、あっという間ですよね。相手のペースになったら巻き返すのが大変になります。だから、試合の流れを一気につかみにいかないといけないですね。焦って、追いかけ回さないように。
――美憂さんは20代の頃から独特のファッションで注目されました。
山本: 日本にいる頃から、弟(山本徳郁)と「これ、カッコいいな」と言ったりしていました。特に見せることを意識していたわけではありません。ファッションに関しては、とにかく自分が好きなものを選ぶようにしています。
――“戦う女性”として、同世代、若い世代に対してメッセージはありますか。
山本: 私はこれまで自分がやりたいことをやってきました。全部が全部、いい結果がついてきたわけじゃないですけど。特に MMA なんて、本当にもうレコード的にはめちゃくちゃです。でも、「やらなかったら一生後悔するんだろうな」と思いました。それは、自分としては耐えられない。
――その積み重ねでここまで来た、と?
山本: そうですね。生きていると、小さなことでも、「なんでやらなかったんだろう」ということがあるじゃないですか。自分で振り返った時に「やらなきゃいけないことをちゃんとやってきたのかな」と思うのが嫌なんです。「やりたい」と思ったことは絶対にやる! うまくいくかどうかはわからないけど、たどり着けるようにする。失敗も多いけど、自分が選んだ道ならばなんとかなりますよ。

【プロフィール】
山本美憂(やまもと・みゆう)
1974年8月4日生まれ、神奈川県出身。レスリング一家に生まれ、父はミュンヘン五輪レスリング日本代表の山本徳榮。弟は総合格闘家の山本“KID”徳郁。妹はレスリング世界王者の山本聖子。レスリングでは1991年世界選手権優勝など輝かしい実績を残し、日本女子レスリングの黎明期を支えた存在。2016年、42歳で総合格闘技(MMA)に転向し「RIZIN」で14試合を戦った。2026年3月28日、オーストラリア・シドニーでプロボクシングデビューを予定。
【取材・文=元永知宏(もとなが・ともひろ)】
1968年生まれ。立教大学卒業後、ぴあ株式会社に入社。チケット情報誌『ぴあ』に配
属になり、プロレス、ボクシング、キックボクシング、空手、総合格闘技などを担当
。1990年、2000年代のビッグマッチのほとんどを取材している。2015年からスポー
ツライターに転身。近著に『長嶋茂雄が見たかった。』(集英社)。

