2023年に日本代表デビューを飾った毎熊晟矢。
東福岡高校、桃山学院大学時代はストライカーとして活躍していたが、プロになったV・ファーレン長崎でサイドバックにコンバートされた。
攻撃型サイドバックとしてJ2で評価を確立すると、2022年にJ1のセレッソ大阪へステップアップ。そして、サムライブルーの一員となると、2024年のアジアカップでは菅原由勢から右サイドバックの座を奪う活躍を見せた。
2024年にはオランダ1部のAZへ移籍。退団した菅原の後釜として、44試合に出場するとリーグ屈指の右サイドバックとして評価されるまでになった。
ただ、今年5月以降は離脱が続いていた。そうしたなか、先月で28歳になった毎熊は、AZ公式サイトで、再発した怪我のために日本でリハビリを行っていたことを明かした。
このほど、オランダに戻って、チームメイトたちと再会した彼はこう語っていた。
「みんな温かく迎え入れてくれましたし、心的にもチームメイトと会えて、楽にはなりました。
(今夏)トレーニングキャンプの練習中に、昨シーズン痛めていた場所を再度負傷してしまって、離脱する形になりました。
(日本でのリハビリは)日本代表のチームドクターの病院で診断をしてもらって、日本代表の色んな競技の怪我人が集まる場所でリハビリを行っていました。
オランダでリハビリを進めていく中でなかなか治らず、専門医に見せたところ、手術が必要ではないかと…ひとつの選択肢として言われて。
それをしてしまうと結構な時間がかかってしまうとも言われたので、自分自身の夢でもあるワールドカップ出場に向けて、それは痛いなと思ったので、一度日本に帰って、別の方法はないかを確かめたくて帰国しました。
日本の色んな競技の人達が集まるところでリハビリをさせてもらって、素晴らしいトレーナーの方たちがたくさんいたので、より早くピッチに戻れるようにフィジカル面はトレーニングしました。
メンタル面もあまりよくならない時期もありましたけど、そこには自分よりもっと大きな怪我を抱えたアスリートがたくさんいたので、そういった選手とコミュニケーションをとりながらリハビリを進めることができました。
来年の夏にはワールドカップがあるので、自分の小さい頃からの夢でしたし、そこを目指すためにも出来る限り早く復帰して試合に出てアピールしなければいけないと思っています。
長期で離脱したことがなかったので、選手にとってプレーできないのは一番つらいことですし、いままではそういった選手をそばで見てきただけでしたけど、いざ自分が長期離脱することになって、メンタルの持ちよう、モチベーションを落とさない方法は(を考えるのは?)初めてでしたし、そこは怪我をして成長した部分かなと思います」
毎熊は痛めていた膝の状態が悪化したために、長期離脱を強いられていたようだ。リハビリは東京にある施設でしていたというが、国立スポーツ科学センターだろうか。
日本代表は2024年アジアカップ後にフォーメーションを4-2-3-1から3-4-2-1に変更したため、右サイドバックを主戦場とする毎熊は厳しい状況に置かれそうだが、それでもワールドカップを目指す思いは変わらないようだ。
ただ、本人は「今のところはここで復帰できるという、復帰の目途は決まっていない」とも語っていた。
筆者:井上大輔(編集部)
