松井大輔

1981年5月11日生まれ
もしかしたら日本代表において、比喩ではなく本当に「ファンタジスタ」と呼ばれた初めての選手だったかもしれない。それほど松井大輔のプレーはアイディアに溢れていた。
2000年にプロ入りした京都パープルサンガ(当時)で1年目から22試合に出場すると、2年目には10番に指名。3年目の2002シーズン、朴智星や黒部光昭らとともに天皇杯でクラブ初タイトルを獲得した。
2004年に移籍したフランスのル・マンで鮮烈なパフォーマンスを見せ、「ル・マンの太陽」と呼ばれる存在に。日本代表にも定着し、2010年の南アフリカワールドカップでは1トップの本田圭佑をハードワークで支えた。
その後はロシアやブルガリア、ポーランド、さらには東南アジアなど様々な国でプレー。近年はJ3のY.S.C.C.横浜でサッカーとフットサルの“二刀流”を成し遂げている。
中島翔哉

1994年8月23日生まれ
ロシアワールドカップ後に誕生した森保ジャパン。W杯前の衝撃的な監督交代もあってチームに対する当たりも厳しかった時期に、日本代表に舞い降りた「ファンタジスタ」が中島翔哉だった。
ヴァイッド・ハリルホジッチ監督時代からキラリと光るプレーを見せていたが、新体制初戦のコスタリカ戦から10番を与えられ、南野拓実、堂安律と驚異の2列目を形成。
その中でも、笑顔を絶やさない中島の圧倒的なテクニックは見るものを魅了し、新生日本代表のイメージを鮮やかに作り上げていった。今でも当時の中島のプレーが忘れられないファンは多いことだろう。
しかし翌2019年2月、カタールのアル・ドゥハイル電撃移籍からキャリアは暗転。ポルトガルの名門ポルトでうまくいかず、欧州や中東を流浪したのち、現在浦和レッズで再起を図っている。
