北米3カ国共催というこれまでにない規模で行われる2026年のFIFAワールドカップ。その開幕があと半年後に迫ってきている。日本代表はオランダ、モロッコ、そしてヨーロッパのプレーオフを勝ち抜いたチーム(ウクライナ、ポーランド、アルバニア、スウェーデンのいずれか)と対戦する予定だ。

今回は、これまで日本代表が出場してきた7回のワールドカップにおいて「10」を背負った選手たちを特集する。

1998年:名波浩

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当時の所属:ジュビロ磐田

日本が初出場を果たした1998年のワールドカップ・フランス大会。そこで10番のユニフォームを任されたのはボランチを務めた名波浩だった。

開幕となったアルゼンチン戦では先発フル出場したものの、チームは敗北。そしてクロアチア戦、ジャマイカ戦でも先発したものの、途中交代で後半にピッチを去っている。

本大会ではチーム自体が守備的なプレーを余儀なくされたこともあり、得意としているゲームメイクや攻撃能力、パスセンスを100%発揮することはできず、名波にとっては悔しいワールドカップになってしまった。

なお、最後のジャマイカ戦で彼に代わって出場したのが当時18歳の小野伸二だった。

2002年:中山雅史

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当時の所属:ジュビロ磐田

日本と韓国で開催された2002年のFIFAワールドカップ。10番のユニフォームを着ることになったのは、当時34歳のベテラン選手だった中山雅史である。

小野伸二や中田英寿など多くのミッドフィルダーが名を連ねるなか、フィリップ・トルシエ監督は絶大なカリスマ性を持った中山に10番を任せ、秋田豊とともに若いチームをまとめる役割を期待した。

スタメン出場は一度もなかったものの、グループステージ第2節のロシア戦では途中出場。その瞬間にスタジアムは大きな盛り上がりを見せ、ゴールこそなかったものの強い存在感を発揮していた。

2006年:中村俊輔

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当時の所属:セルティック

2002年のワールドカップでまさかのメンバー落ちを経験した中村俊輔。その後ヨーロッパに活躍の場を移し、レッジーナを経てセルティックへ移籍。スコットランドで目覚ましい活躍をしていた。

ジーコ監督もその中村俊輔に大きな信頼を置いていたものの、大会前に風邪のために発熱するなどコンディションに不安を抱えていたという。

初戦のオーストラリア戦でクロスボールが直接ゴールに入るという幸運に恵まれ、彼にとってのワールドカップ初得点を記録するも、その後チームは逆転負け。

そのあと行われたクロアチア戦で引き分け、そして最終節のブラジル戦で1-4と敗北し、グループステージ未勝利で大会を去ることになった。

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