スティーヴ・マクマナマン

1999年 リヴァプール→レアル・マドリー
“マッカ”が加入した当時のマドリーは混沌としていた。だが、その後彼が過ごした4年はタイトルと栄光に満ちたものになった。
計7つのトロフィーを獲得し、イングランド人として国外で最も成功を収めた選手に。事実、マドリーのHPにはクラブのレジェンドとして彼の名が刻まれており、スペインで成し遂げた全ての偉業が記されている。
2003年、同胞のデイヴィッド・ベッカムの加入と入れ替わるように、マッカはマンチェスター・シティへと去って行った。だが、彼は今もマドリディスタたちの思い出に刻まれている。
ポール・ポグバ

2012年 マンチェスター・ユナイテッド→ユヴェントス
満足な出場機会を与えられなかったユナイテッドを去り、アントニオ・コンテが率いていたユーヴェへの移籍を選択したポグバ。
加入からわずか数週間後にはレギュラーを確保すると、欧州で最高の若手選手のひとりへと成長した。チームとしても個人としても成功を続け、『Serie A Team of the Year』にも3度選ばれた。2015年には、『UEFA Team of the Year』 と『FIFPro World XI』 も受賞。
干され気味の若手選手から、ワールドクラスのタレントへと飛躍してみせたのだ。昨夏、ユナイテッドはそんな彼を史上最高額の移籍金で連れ戻すことになった。
(2012年当時ポグバは19歳だったため、ユーヴェはユナイテッドに80万ポンド(1.1億円)ほどの補償金を支払ったとも伝えられている)
ミヒャエル・バラック

2006年 バイエルン・ミュンヘン⇒チェルシー
バイエルンとの契約が満了となった皇帝は、マンチェスター・ユナイテッドを蹴って、チェルシー入りを選んだ。ただ、移籍1年目は低パフォーマンスに加え怪我もあり失望に終わる。そのため、1年で退団する可能性すらあった。
だが、チーム残留を決めると、疑念を抱く人々にそれが間違いだと自ら証明してみせた。2007-08も素晴らしかったシーズンのひとつであり、翌季はさらにいいパフォーマンスを見せつけた。
最終的には、30代の選手に対して1年間の契約延長しかオファーしないというロマン・アブラモヴィッチ氏の方針によってバラックは退団を決断。ただ、当時のカルロ・アンチェロッティ監督は彼を保持したがっていたとされており、いかに評価されていたかが分かる。
