ジェイ=ジェイ・オコチャ

2002年 PSG→ボルトン
オコチャはボルトンにとって最高の掘り出し物になった。
当時の指揮官サム・アラダイスは、チームを助けてくれと彼を説得しイングランドに連れてくることに成功。このニュースは欧州全土に驚きをもたらした。1998年にPSGへ移籍した際にはアフリカ人史上最も高額な取引選手となったオコチャ。その彼がトロッターズ(ボルトン)でプレーすることになったのだ。
すぐさまファンのお気に入りになったオコチャの閃きと能力によって、ボルトンは17位、8位、6位と躍進し、カップ戦決勝にも進んだ。ただ、中東への移籍が噂されるなかでキャプテンを剥奪されるなど、ボルトンとオコチャの関係は微妙な形で終わりを告げることになった。
とはいえ、ボルトンのファンたちはチームに輝きをもたらしてくれたこのトリッキーなMFをしっかりと記憶している。
ロベルト・バッジョ

1997年 ミラン→ボローニャ
ファビオ・カペッロやカルロ・アンチェロッティから拒絶されたバッジョ。当時30歳だった彼はミランを離れ、ボローニャへ加入することになった。
バッジョに課されたタスクはセリエA残留だったが、ボローニャは驚きの8位躍進を果たす。そのなかで、バッジョは自身キャリアハイとなるセリエA22ゴールをマーク。イタリア人としてこのシーズンに最も多くのゴールを決めた選手になった(得点王はオリヴァー・ビアホフの27得点)。
その活躍によって、1998年W杯のイタリア代表メンバー入りし、同年のバロンドールにもノミネートされた。
結局、1年でインテルへと移籍し、ビッグクラブへと戻ったバッジョ。それでも、ボローニャのティフォージたちにとっては、今も彼はカルト的なヒーローのままだ。
アンドレア・ピルロ

2011年 ミラン→ユヴェントス
近年、最も有名なフリー移籍のひとつ。2011年、ミランは大きな功績を残したピルロに新契約を提示しなかった。そして、コンテ率いるユーヴェが彼を引き入れたのだ。
チームの要に固定されると、ディープラインプレーメイカーとしてどれほど優れているかを世界に思い起こさせた。以後4年間にユーヴェが成し遂げたこと全てにおいて、ピルロは中心人物だった。全シーズンでスクデットを獲得し、2015年にはCLでも決勝進出を果たした。
その後は欧州トップリーグを離れて、MLSへと移籍。ミランの放出決定はあまりにも早過ぎるもので、それはユーヴェにとっては最高の利益となった。
筆者:井上大輔(編集部)
