「2度とできないプレーでしょうね、一生やってはいけないプレーだと思います。
イチローさんのヒットで帰れなかったら、俺は誰のことを目指してきたんだと。あの時は意地でも1点とろうと思いました。
今シーズンが終わる、これで野球(人生)が終わるかもしれない、構わないと思った。それくらいの覚悟でスライディングで右手を出しましたね。
松中(信彦)さんも『ムネ、やったろ?』って…音が聞こえたらしいです、グキッって。右手はくれてやるよ、俺の魂はやらないよ」
負傷覚悟の決死のプレーだったようで、ネクストバッターとしてホームコーチャーを務めた松中さんも異音を耳にしていたという。
また、川﨑さんは、侍ジャパンチャンネルの映像でも、こう語っている。
「当時はブロックがあったから、いったら潰されるなと思って。
あれで靱帯を損傷しまして、(プロ野球の)開幕には間に合わなかったですね。2か月かな、リハビリにかかったっすね。
(試合後も)靱帯ブチブチにやったんで、吐き気がすごくて、折れたなってのがあったんですよね。
シャンパンファイトした時、僕は参加してないはずなんですよ。朦朧としてトレーナールームに横たわっていた」
決死のホーム突入で当時所属していた福岡ソフトバンクホークスではしばらく離脱を余儀なくされたそう。
優勝後もセレモニーどころではなかったようだ。
筆者:井上大輔(編集部)



