「当時、国際バスケットボール連盟(FIBA)は、NBAのレベルは他よりもはるかに高いという理由で、NBA選手が自国代表として国際大会に出場することを禁じる規則を設けていた。
オスカルはブラジル代表としての活動を諦めるつもりはなく、NBAでプレーする機会を断った。
その結果、彼はオリンピック5大会に出場し、南米選手権で3度優勝。1987年のパンアメリカン競技大会では、まさにアメリカ代表を破って優勝を果たした。
2013年にバスケ殿堂入りを果たした際、オスカルはNBAからのオファーを断った理由についてこう語っていた。
『ネッツから契約のオファーがあったが、私はこう言った。
どうもありがとう。でも、ここで1試合でもプレーしたら、二度と代表チームには出場できないと。
ご存知ないかもしれないが、それが当時のルールだったんだ。代表チームでプレーするために、NBAを諦めた。
そして3年後、私たちはアメリカでアメリカ代表に勝利した。あれは私のバスケットボール人生で最高の出来事だった』」
1989年にNBA選手がFIBAトーナメントに出場することを禁じるルールは撤廃されたが、それでも彼はNBAからの招待を最後まで断り続けたそう。
ネイマールは、ブラジル代表にスポーツ人生を捧げたレジェンドに哀悼の意を表していたようだ。
筆者:井上大輔(編集部)



