2026年ワールドカップで40年ぶりに本大会へ戻ってきたイラク代表。その初戦で、国民に忘れられない瞬間をもたらしたのが、30歳のFWアイマン・フセインだった。
イラクはグループステージ初戦でノルウェーと対戦。マンチェスター・シティの怪物FWアーリング・ハーランドに先制点を許したものの、前半39分にフセインが見事なヘディングシュートを叩き込み、同点に追いついた。
ただ、イラクは最終的に1-4で敗れ、フセイン自身にもオウンゴールが記録される苦い展開となった。とはいえ、このゴールはイラクにとってワールドカップ史上2点目となる歴史的な一撃だった。
そして、フセインのゴールは彼にとっても単なる1点ではなかった。彼自身の壮絶な人生、さらにイラクサッカーの苦難の歴史が重なっているからだ。
アイマン・フセインは、イラク北部のキルクーク近郊で育った。
彼が少年時代を過ごしたイラクは、2007年にアジアカップで奇跡的な優勝を果たし、混乱の中にあった国中に歓喜をもたらした。
しかし、当時の情勢は極めて不安定だった。代表チームは安全上の理由から自国で十分な準備ができず、ヨルダンで調整を行わなければならなかった。準決勝で韓国を破った際には、バグダッドで勝利を祝う人々を狙った自爆テロが発生し、多くの犠牲者が出た。
そして2008年、彼が12歳の時だった。イラク軍の将校だった父親が、任務の最中にイスラム過激派組織のアル・カーイダによって射殺されてしまう。さらに2014には、地元警察で地域の安定のために従事していた兄がISIS(イスラム国)の手によって誘拐されており、それ以来消息不明となっている。
危機的な状況にあったフセイン一家は地元キルクークを離れ、国内難民となった。経済的な事情で一度サッカーを諦めようとしたこともあったとのことだが、その決断を止めたのが母親だったという。
「家族の面倒を見るために、サッカーを辞めようとした。でも母はそれを拒んだ。夢を追い続けなさいと言ってくれた」
サッカーを続けることを決めたアイマンは首都バグダッドへ。そして母や兄弟姉妹は親戚の家へと身を寄せることになったそう。
そして彼は2015年にイラク代表デビュー。長身を生かした空中戦の強さと、ボックス内での決定力を武器に、徐々に代表でのポジションを確保。2020年代に入ってからは中心的なストライカーとなっていった。
2026年ワールドカップ予選ではチーム最多となる12ゴールを記録。イラクが1986年以来となる本大会出場を果たす上で、最大の原動力となった。
ただ、アイマンにとって今回のワールドカップは、ピッチ外でも決して平坦なものではなかった。
報道によれば、彼は大会前にアメリカへ入国した際、シカゴのオヘア国際空港でおよそ7時間にわたって事情聴取を受けたという。イラクのスポーツ関係者によると、その際には携帯電話の検査も行われたとされている。
最終的にアメリカへの入国を認められたが、イラク代表のチームカメラマンであるタラル・サラ氏は、10時間以上にわたって拘束・検査を受けた末、入国を拒否された。
そしてその数日後、彼はワールドカップの舞台でゴールを決めた。
試合は敗戦に終わった。だが、フセインのヘディングは、イラクサポーターにとって間違いなく忘れられない瞬間になったといえる。
悲劇を乗り越え、家族のために、そして国のために戦うアイマン・フセイン。彼は2026年ワールドカップで最も胸を打つ物語を持つ選手の一人かもしれない。
筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

