日本には確かなプレースタイルがある
――先ほど、多くの選手が欧州リーグでプレーしているため、必ずしも“アジア的”なスタイルではないと話していました。それでも、これらの国々に固有のプレーアイデンティティは存在するとお考えですか。たとえば日本には独自のスタイルがあるように見えます。
「イエスであり、ノーでもあります。日本をよく知る立場から言えば、彼らのプレーアイデンティティは、ポゼッション(ボール保持)、集団としての規律、高い技術力、そして強固な戦術文化にあります。もちろん、これはほとんどの選手が欧州でプレーしていることと結びついています。国内でプレーしている代表選手は少なく、ほぼ全員が欧州組です。つまり、技術的に優れた選手たちであり、彼らが代表に戻れば、すでに確立されたアイデンティティと文化に再び接続するのです。
たとえば日本は、フィジカルの面でスウェーデンやオランダを上回ることはありません。しかし、ボールを保持し、相手を走らせ、疲れさせ、非常に速い技術的実行でプレーすることで、肉弾戦を避ける術を知っています。それだけで強固な守備を崩すのに十分なことも多いのです。
このアイデンティティは確実に存在します。1998年から2002年まで彼らの監督を務めていたのでよく分かりますし、当時からそれは強豪国に対抗するための私たちの武器でした。日本には、運動能力やフィジカルのぶつかり合いを前面に出す文化はありません。彼らの文化は、ボールコントロール、試合のリズム、加速、そして意外性を生み出せる選手たちに重きを置くものです。これらすべてが一つのバランスを形づくり、監督は指揮者のようにそれを統率しなければなりません。
ただ、今日ではW杯に出場している選手の大半が、国籍を問わず欧州でプレーしています。ですから、プレーアイデンティティはますます監督の哲学に結びつくようになっています。仮にモウリーニョが日本を率いたら、あるいはグアルディオラやルイス・エンリケが率いたら、プレースタイルは監督によって変わるでしょう。ある意味で、チームのプレーアイデンティティを作るのは監督なのです」

日本の結果に驚きはない
――アジアサッカーへの深い知識をお持ちですが、W杯でのこれらの国々の結果に驚きはありますか。
「いいえ、驚いていません。少なくとも日本についてはそうです。なぜなら、今起きていることだけでなく、何年にもわたって起きてきたことを見なければならないからです。
日本はこれまで、ドイツでドイツに4-1で勝ち、ブラジルに3-2で勝ち、ウェンブリーでイングランドに勝ち、スコットランドにも勝っています。そして2022年のW杯ではスペインとドイツを破りました。もちろん、1試合では何が起きてもおかしくないことは分かっています。しかしW杯は時間をかけて戦う大会ですから、大会全体を通じたアジア勢のパフォーマンスを見る必要があります。
驚かない理由は、サッカーが個人技、フィジカル、アスレティック能力、戦術のすべてにおいて大きく進化しているからです。いまや若い選手たちは、情熱を持ち、上達するための膨大な情報にアクセスできます。どこでも見つけられるような小さな練習メニューを通じて成長できる。私たちは今、こうした選手育成の文化の中にいます。
もう一つの利点もあります。アジア社会は厳格で規律があり、個は集団に奉仕します。私は特に日本人や韓国人のことを思い浮かべています。利己的な意味で、自分のためだけにプレーすることはありません。成功は相互作用から生まれ、チームメイトとの相乗効果から生まれ、自分自身とパートナーへの信頼から生まれます。これらはアジア社会に深く根付いているものです。
日本や韓国に行けば、とても規律のある国だと分かるでしょう。個人として目立とうとする人は長くは続きません。誰かが突出すると、すぐに全体の中へ戻されます。全員が同じレベルにいて、全員がまとまらなければならない。これは利点です。なぜなら、サッカーの80%は集団に関わるものだからです。
一方で、十分なリスクを取らない、あるいは個人の主体性が足りないと批判することもできるでしょう。たとえば日本では、2回ミスをすればすぐに重圧を感じます。彼らは失敗を成功の対極にあるものと捉えますが、欧州では失敗は成功への道の一部だと考える傾向があります。ミスをして、その理由を理解しようとし、修正し、その修正を通じて新しい知識を得る。そうして翌日にはより強くなれるのです。
欧州では学びは失敗と結びついていますが、日本では失敗はほとんど禁じられています。なぜなら、物事は『正しいやり方』で行うよう教えられるからです。問題は、サッカーには本当の意味での“正しいやり方”など存在しないということです。ゴールにつながるなら、どんなプレーも許されます。
しかし、日本文化特有のこの『正しいプレー』を探求する姿勢が、パス、コントロール、シュート、クロスを非常に高い精度で実行する規律ある選手を生み出しています。そこに、規律、傾聴、監督への敬意が加わることで、アジアサッカーの質と、チームメイトと相乗効果の中でプレーしようとする意志が保たれているのです。
私はアフリカでも指導してきましたが、あちらでは規律はむしろ弱点であり、選手たちはより奔放です。だから私は、彼らにはもっと規律を持つように求め続けていました。一方、日本では逆に『もっと規律に縛られすぎるな!』と求めるのです。日本では、もっとボールを持て、あまりに早く手放すなと言いますが、アフリカでは手放すように言います。これは全く異なる二つの文化であり、バランスを見つける必要があります。
つまり、規律と戦術的構造を持ちながらも、個人で仕掛けたい選手が安全にそれを実行できる構造を持つことです。自分のやろうとしていることを味方が理解していて、自分を守ってくれる構造の中にいれば、人は安心してプレーできます。大切なのは本能ではありません。個人プレーであっても、集団によって理解され、受け入れられなければならないのです。そして、それこそがアジア全体で起きていることなのです」
