パオロ・マルディーニ(イタリア)
マルディーニは、しばしば「守備者の模範」と評される。エレガントで知的、沈着冷静であり、1対1で彼を抜くことは不可能に近いとさえ言われた。ACミランでの20年以上のキャリアで、7度のセリエA制覇と5度の欧州制覇を成し遂げた。
しかし、イタリア代表としてのWCは、彼に幾度となく悲劇をもたらした。
1990年の自国開催大会でWCデビュー。アッズーリは無失点で準決勝まで勝ち進んだが、ナポリの地でアルゼンチンにPK戦の末に敗れ、夢は絶たれた。4年後のアメリカ大会でも、マルディーニはさらに重要な役割を担い決勝へ進出する。
ロベルト・バッジョの輝きと堅守を武器にした1994年大会。左サイドバックとセンターバックの両方をこなすマルディーニはその中心にいた。ブラジルとの決勝は120分を戦ってスコアレスとなり、そしてまたしてもPK戦でイタリアは涙を呑んだ。
さらに、1998年も同じ運命が待っていた。開催国フランスにPK戦で敗退。マルディーニは3大会連続でPK戦によって姿を消すことになった。そして2002年。議論を呼んだ韓国戦での敗退を最後に、彼は代表ユニフォームを脱いだ。
その4年後、イタリアはドイツの地でWCを制覇した。誰よりもあのトロフィーに相応しい選手だったが、タイミングとPK戦の呪縛が彼のタイトルを奪い去ったのだ。
フェレンツ・プスカシュ(ハンガリー/スペイン)
プスカシュは、W杯を勝ち取れなかった「史上最強」チームのリーダーだった。1954年大会、伝説的なハンガリー代表の黄金世代「マジック・マジャール」は、数年間にわたって世界を支配し、圧倒的な本命としてスイスに乗り込んだ。
プスカシュたちは攻撃に革命を起こしていた。その流動的な動きとパスワーク、戦術的柔軟性は、当時の常識を遥かに超えていた。W杯でも快進撃を続け、難なく決勝に駒を進める。
そして、その相手はグループステージで8-3と大勝していた西ドイツ。決勝でも開始8分で2点を先行し、誰もがハンガリーの優勝を疑わなかった。しかし、西ドイツの猛反撃に遭い同点に追いつかれると、試合終盤にヘルムート・ラーンに決勝点を許した。
2-3の逆転劇は、ドイツでは「ベルンの奇跡」と呼ばれ、ハンガリーでは国家的な悲劇となった。それは、あの黄金世代にとって最後のビッグトーナメントとなった。
1956年のハンガリー動乱後、プスカシュは帰国を拒否してスペインへと亡命し、レアル・マドリーに加入。そこで3度の欧州制覇を成し遂げ、クラブ史上屈指のスコアラーとなった。後にスペイン代表として1962年大会にも出場したが、かつてのハンガリーの夢が再び戻ることはなかった。
