30周年を迎えたJリーグでは様々なチームが頂点に立ってきた。

その回数がダントツで多いチームと言えば、もちろん鹿島アントラーズ。今季J1でも序盤苦戦を強いられたが、5連勝で5位に浮上している。

そんな鹿島がJリーグとともに歩んだ30年間で、「チーム歴代最強の日本人選手」5名を選んでみた。

柳沢敦

1977年5月27日生まれ

鹿島アントラーズ在籍:1996-2005、2006-2007

「超高校級」という言葉をこの選手で初めて耳にしたサッカーファンも多かったことだろう。1996年に富山第一高校から鹿島アントラーズへ加入した柳沢は、その圧倒的な才能とスキルで瞬く間にチームの中心となっていった。

スカウトとして“常勝鹿島”を支えてきた椎本邦一氏は以前、内田篤人のFOOTBALL TIMEに出演した際に柳沢を獲得した当時のことをこう振り返っている。

「(争奪戦)一番はヤナギ(柳沢敦)だな。全部じゃないかな、1チームだけこなかったのかな。ヤナギはすごかった。今でもFWはヤナギが一番だったな、高校時代。うまいし、ボールのない時の動きとか、本当にできていた。ダイレクトでボールを落とすのもうまかった」

日本代表としても2002年、2006年と2度のワールドカップに出場。現在は鹿島のユースチーム監督を務めている。

小笠原満男

1979年4月5日生まれ

鹿島アントラーズ在籍:1998-2018(※2006-2007はメッシーナへ期限付き移籍)

1979年生まれの「黄金世代」。同期には東福岡、帝京で選手権決勝を戦った本山雅志と中田浩二、さらには鹿島ユースから昇格した曽ヶ端準がいて当時から大きな注目を集めていた。

その中でも、クラブに一番大きなものをもたらしたのはこの選手ではないだろうか。

イタリアのメッシーナへ行く前までも、2000年に達成したJリーグ史上初の3冠などチームに多大な貢献をしていた。しかしメッシーナでの厳しい1年を経て復帰を果たすと、40番を背にボランチが主戦場となり、まさしくチームの核となった。

フットボーラーとしてのクレバーさに磨きがかかり、“小笠原のチーム”となることで鹿島は「常勝軍団」と呼ばれるようになっていった。そのメンタリティは、背番号とともに鈴木優磨へと受け継がれている。